青きドナウはウッソォ〜だった 

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zoom RSS (121) 歌う天使達 『ウィ―ン少年合唱団』

<<   作成日時 : 2015/06/06 05:04   >>

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ウィーン少年合唱団の出演した古い映画

この間のブログ記事では、もう少年合唱団からお別れって言っておきながらまた性懲りもなく・・・ダメだなぁ〜。

でもはっきり言ってね、アメリカ紀行記よりこういうのを書いているの方がよっぽど楽しいんだわ〜
あ、旅行記は続けて書いてはちゃんと編集しているんですよ。
でもねぇ〜、書いているうちにどんどんあのアメリカでのやり切れない暑さが蘇って来ちゃうんですよね。
これからドイツも段々暑くなって来るし、そっち(日本)だってもうきっと暑いだろうし。

あら、なにブツクサ言ってんだろう。
もう、年寄り臭いったらないんだわ、やめよっと 

ところでウィ―ン少年合唱団が脇役で出演している映画はかなりあるんだけれどね。
これは1947年に制作された初めてのウィ―ン少年合唱団自身の映画です。
と、思っていたら 、今日(2015年6月10日)入ったpfirsichchenさんのコメントで、有り難い事にもっと古い映画がある事が判りました。(コメント欄参照)。
さすがに歴史ある少年合唱団……、益々古き時代に心が傾いています。
テヘへ、でも、不真面目な私の歴史嫌いがまたぞろ判明しちゃったな。


自分だけで見るより、このブログで知り会えたウィ―ン少年合唱団のオールドファン(実はオールドファンのブログをあまり知りません)の方達にもひょっとしたら面白いんじゃないかなって、勝手に思ったので実に勝手に載せる事にしました。
ウィーンファンでない他の方にも興味があれば良いけれどって、・・・、ま、私が勝手に好きなんだから良いのじゃ〜

画像

19世紀の初め頃の古きウィ―ンを舞台に、晩年のハイドン爺さんや、10歳の巻き毛のソプラノ団員の小さなフランツ・シューベルトが出て来ます。
それに聖歌隊指揮者の役を演じているのは、私の人生を変えた罪な映画の
青きドナウ(←キャ〜、ついにまた出たぁ・・・・記事2)で理事長役を演じていたハンス・ホルトです。
この時はまだ少人数であったウィ―ン少年合唱団は、すでに「文化国家オーストリア」の小さな大使として皇帝の式典で歌っていました。
この映画の最後に出て来る、戦争で破壊されたウィーンの街のシュテファン大聖堂は「傷ついたオーストリア魂」を象徴しています。
映画の最後の場面で、ウィーン少年合唱団の先祖・・・エへへ・・・の宮廷聖歌隊の制服がハイドンの時代、ベートーベンの時代(何でベートーベンじゃなくてモーツァルト隊の名前が出てくるのかしらね)、シューベルトの時代、そしてブルックナーの時代へとその変化が分かります。
合唱団の歴史を知っているファンには見覚えのある制服が出て来ますよ。

それは、1808年3月28日の事でした・・・・・と、映画は病で休養しているハイドンがシュテファン教会の宮廷楽長のサリエリの訪問を受け、若い聖歌隊指揮者のホルツァーとその合唱団員達の回想談を始めるところから。

もう、年寄りがオーストリア訛りでゴニョゴニョ話すもんだから聞き辛くって、意味を理解するのに苦労したわ。



ホルツァーは見習いの指揮者でしたが、合唱に対する自分の固い信念を持っていて、シュテファン教会のミサの規律に反してウィーンの作曲家のヤコブス・ガルスの曲を勝手に歌わせてしまいます。(出演しているウィーン少年合唱団の歌声は8:30秒からシュテファン教会の聖歌隊として歌っている教会での場面です。) ホルツァーは少年達が上手に歌った事を誉めている最中に呼び出され、指揮者の解雇の宣言をされてしまうんですよ
その後、一時はオツムテンテンの坊やの家庭教師をしていましたが、その時の会話が何ともユーモラスでねぇ〜。
少年は両生類の意味が判らなくて、陸を田舎と早合点して、先生がある時はに住み、と言ったとたん、ある時は都会に住むんですね、と答えます。 
(実際ドイツ語は陸;Land→ラントは地方という意味もあるんです。)
舞台はウィーン郊外のリヒテンタールの自転車競技の場面に移りました。
街の権力者の娘と恋仲になっているホルツァーは、彼女に学校の教師になる為に、彼女の父親に一言口添えをしてもらえないかと頼みます。
どうしたらそのチャンスが掴めるか考えた彼女は、父親の愛犬が迷子になったと大泣きで偽り、ホルツァーが見つけて連れ戻したように仕向けます。
運よく教師であるシューベルトの父親の学校に職が決まり、ホルツァーはそこで自分の趣向に沿った少年合唱団を作る事になるのです。
その最初の練習風景では(32:48)少年合唱団員のメガネのシューベルトが初めてお目見えしています。
ところが彼らとの遠足(34:55)でみんなが「めくらおに」をして遊んでいる間に、漁猟を見学していたシューベルトが湖に落ちてしまうのです。
危険の迫った状態で、峠が越せるかどうかの時に少年たちが回復を祈ってアベ・ベルムコルプス(44:27)を歌いますが、奇跡が起こって回復します。
(昔の映画ってまるで子供だましのなんと単純な内容なんでしょうね)
その歌声が流れる歩道にハイドンが偶然通りかかって、彼らの美しい合唱に興味を抱き、指揮者のホルツァーにミヒャエラ教会での演奏を約束させます。
実はその日は女帝のマリア・テレジアがミサに来ていて、ハイドンはその少年達の合唱(56;34)を子沢山の彼女に聞かせる企みがあったのです。
シューベルトが溺れそうになった事で、教師としての責任に問われて捕われたホルツァーは、少年たちの歌声に魅せられた女帝によって免罪になり、宮廷合唱団指揮者としての援助を受ける事になります。
そうしてまだ制服などの無い少年たちはホルツァ―の指揮の元、教会の式典で見事にテレジアミサを歌い挙げ、大いに皇帝の心を揺るがせて「歌う天使」と称賛されました。

一番の聞きどころは皇女に聞かせるハイドンのミサ曲もそうですが、1:21:28からの映像のミヒャエラ教会のテレジアミサのソリストが声量のある素晴らしいソプラノで歌うところでしょうかね。

この映画でホルツァーの恋人が両方の親指を握っている場面が出て来ますが、これは古いおまじないで、相手の成功を祈る時にやるものなんですよ。
そのおまじないは「イッヒ ドゥリュッケ ディア ディ ダウメン」と言って、現在でも親しい人への想いを込めて普通にやっています。(私もルカが海外出張の度に彼の仕事の成功を願い、まだ彼の中に残る愛しいルカ の無事を祈りながらその言葉を書き送っていますよ。)←ギャァ、書いてしまった


これは1982年のオーストリア・ケルンテンの夏の音楽祭の時に歌われた素晴らしいテレジアミサです。
映画ではこのミサの最後のアグヌスの部分しか流されていないんですよね。
『ウィーンの森の物語のオペレッタ』で活躍したレネ君の姿が見えないんだけれど、1983年に来日した何人かの団員達の姿が判りますか?
40:00からいよいよこのミサの総毛立つ様なクライマックスに入って来ます。
せめてこの部分だけでも聞いて欲しいんだなぁ〜。
私はミッツィ―の恋人のフランツと靴屋の役の少年達がすぐにわかりましたよ。
この動画の二人の上手なソリストたちは来日しているのかしら?
最後には名前もちゃんと出ていますね(でも今はもう壮年期の男性ですね)
前列左端に座って見えるのは、合唱団の指揮者のハラ―さんとまだ元気そうな当時の団長の故タウチュニッヒさんじゃないですか。

これはmaaさんのブログで知った動画ですが、1950年代の少年達の歌声です。
昔の少年達は全体的に声が高めだったような気がするんですけれどね。

明るく澄んだ歌声の『春の声』は本当にナイチンゲールのさえずりみたい。
あ、間違えた…馬鹿めが・・『南国のバラ』だった。…歳ですなァ。
今の時期は朝の4時頃にそのさえずりが窓の外から聞こえて来ます・・・エ〜、少年達のさえずりじゃなくて、ナイチンゲールのですよ。

blume-0108.gif von 123gif.de そしてこんな運命に会う少年達も 
 (注:確かにウィ―ンの少年合唱団ですが・・) 


これは更に古い歌声・・・・・1939年代のソリスト達ですが、これを歌っている団員達の運命が大きく掛かったオーストラリア演奏旅行でした。
動画の最初に写っているこのクラスの全員の少年達が演奏旅行に出たまま、優しい両親の待つ遠いウィ―ンには戻って来られなかったのです。
 1939年9月1日、団員達はオーストラリアの演奏旅行を終えて、ウィ―ンへの帰国の為に波止場に立っていました。
海外への演奏旅行にはまだ何日も掛けて公演先に出向いていた頃ですね。
そして、彼らが船に乗る前に、第二次世界大戦が布告され、この少年達全員が懐かしい自分の故郷から遥かに離れたオーストラりアに足止めされる事になったのです・・・だから戦争って大っ嫌い。
戦争は1945年まで続き、親の面倒を見る為に後に帰国した一人を除く他の団員達の全員が里親を得て、そこで市民権を取ってオーストラリアに留まり、家庭を築いて新しい人生を歩んできたそうです。(キャァ、みんなイケメンですよ。)
この動画をアップしてくれたのはその団員の一人をを父に持つ女性です。
彼女は少年達が戦争中のウィーンに戻らなかった事を心から喜んでいます。
『素晴らしい歌声、素晴らしい少年達、素晴らしい男性達』の言葉で閉められています・・・・その短い言葉の中に、あの舞台に立つ少年から、親元を離れて立派な男性に成長した団員達を心に浮かべました。
苦手な英語ですが、読んだら感動で鳥肌が立ってしまった〜〜〜
70年代ごろの団員達は将来外国で就職したい人はいますかの質問に、殆どが手を上げていましたけれど、さすが自立心が備わっていて頼もしいと思ったら、やっぱりルカもその一人だったんだなァ。
画像(注:ウィキペディアによると、1937年にはこの合唱団の指揮者のグルーバーは、ウィ―ン少年合唱団の総長のヨゼフ・シュニットと意見の相違により退任して、新しい「ウィ―ンモーツァルト少年合唱団(今の鬘のモーツァルト少年合唱団ではなくて)」を編成したそうです。
この少年達は多いにその少年合唱団員の可能性がありますね…と言うより、そうじゃないのかなぁ。
だったら、何で同じ制服なんだろう。彼らの一人は、当時は自分達が経済的に貧しくて、オーストラリアを生活に豊かな国に感じたそうです。そして大人になった今、故郷に里帰りしてみると、自分の生れた国がとても裕福になっている事に驚いたと言っていました。
今、調べたら彼らのこんな写真もありましたけれど、帽子にはモーツァルトと書かれていますから、矢張りこれはグル―バー氏が新しく編成したウィ―ンの少年合唱団だったのでしょうね。だってウィ―ン少年合唱団自身の歴史には(性的虐待の事まで載っているのに)これが載っていないのだから、この少年達が正規のウィーン少年合唱団員だったなんて考えられないものね。
でもね、私はこの小さな合唱団が本元のウィ―ン少年合唱団に負けないくらい素晴らしい水準だったと想像するのです。

ところで、わぁ〜、なつかしい〜
この動画の最後に出て来る団員達は64年組ですよ〜 
左から、アルベルト・レッシュ君(シューベルトの小夜曲の独唱者)と
真ん中がフランツ・カーバー君で、右の少年はフェルディナント・スメタナ君とモーツァルトの子守唄を歌っている西ドイツの少年で名前は知りません。

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コメント(20件)

内 容 ニックネーム/日時
過去の貴重な映像がこうして残っているのは大変貴重ですね。
思い出がより鮮明によみがえってきますね。

音楽の成績が大変悪かった私ですが、シューベルトはともかくハイドンもかろうじて覚えている音楽家でした。
ドイツ語は全然分かりませんが、きっとこういう音楽は言葉を超越するものがあると思うので、一度生の合唱を聞いてみたいです。
ねぎ
2015/06/06 23:29
この合唱団を知る前は私も音楽なんて成績が悪かった方ですわい。
ウィ―ンファンではないネギちゃんの此処への訪問は特に栄誉に思います。
コメントまでしてくれて有難うね。
これからまた面白いお話で楽しみましょう。
ponko310
2015/06/06 23:57
素敵な歌声を聴きながら、このブログを読んでいます。
大人の男性と一緒に歌う音楽祭も低音の中に響く天使の歌声が素敵すぎて好きですが、「maaさんのブログで知った動画」は何度も聴き入ってしまうほど、魅力的でした。
歌声と共に過ごすひと時は、何だか貴重で、いつもの日常とは違った空気が流れて好きです。
窓の外は日本ではなくて洋風の建物と緑の木々に囲まれた、お城の中に住む…自分。まるで貴婦人の気分です(笑)
yukitake
2015/06/08 14:05
動画は見れていませんが(スミマセン↓)
そんな素敵なおまじないをルカさんに(当時のルカさんに)送ってるだなんて
(キュン♪)
いいなぁ〜、いいなぁ〜。
なんだかとってもponkoさんがうらやましいです☆
YUKARI
2015/06/08 14:10
yukitakeさん
ウィーン少年合唱団の歌声を褒められて、まるで自分が称賛された様な感じがするのは…気持ちい良いもんですなぁ。
昔の彼らの歌声は私の体の一部になってしまっているようです・・・え、どこがって?・・・・えへへ。
ウィンナワルツって明るくて気持ちを引き立ててくれますね。
心が沈んだ時には大きな助けになってくれて、私も大好きです。
実は「春の声」が好きなyukitakeさんの目を引く為に「南国のバラ」をわざと間違えたのです・・・と言うのはウソ。
maaさんはこのレコードを持っているんですって。
ponko310
2015/06/08 14:50
YUKARIさん
このブログで動画が見れないなんて、猫に小判…いや違った…馬の耳に念仏…あ、違う…、皿の乾いたカッパ…あ、もっと違ったか。
何しろ少年達の歌声が春の小鳥のさえずりなんですよね、だからこんな素敵な声で歌ってくれていたルカがまだ私の心のそばにいてくれる事に大きな幸せを感じています。
うらやましいのを乗り越えて、この喜びをYUKARIさんと半分こに出来ないかなぁ。
ponko310
2015/06/08 15:48
そうそう。このレコード大好きです。
でもこのレコードよりもっと前の時代に戦争に翻弄された事実があったのですね。知りませんでした。楽しいはずのツアーなのに、命がけになってしまったんですね。
maa
2015/06/09 12:28
maaさん
私達が心待ちにしている演奏旅行って、実は危険を伴う場合があるって事が判った動画でした。
私は64年組が羽田を発った時、教室であの子達が無事にウィーンに着きますようにって、ずっと心が不安だったわ。
今日本にいる団員達だって、東京でコンサート中に地震に遭っていますしね。
何があるか判ったもんじゃないって事、親にとったら居ても立ってもいられない事でしょうね。
ponko310
2015/06/09 14:55
この映画、4月にORFIIIで放映されたんだけど、ドイツでは観られないと思って連絡しなかったの。でも誰かがYouTubeにアップしてくれたのね。
この映画より古いのは他にもあるわよ。WSKのサイトのFilmographieを見てね。
その中の1936年のSingende Jugendは、「野ばら」の元の映画。つまり「野ばら」はSingende Jugendのリメイクなの。監督も同じ人。

豪州残留孤児になってしまった人たちのことは、20年くらい前にMusikantenstadlというショー番組に関する記事で読んだわ。Karl Moikがメルボルンでこのショーをやった時の記事なの。かなり詳しい内容よ。家のどこかにあるはずだけど、見つけたら教えるね。
合唱団側からはこの話題は決して出ないけど、ある団員のお母さんからは聞いたことあったわ。
中国残留孤児の方たちはかわいそうだけど、豪州に残った人たちは皆、いい里親が見つかって、幸せになったみたいでよかったですね。
Pfirsichchen
2015/06/10 06:52
Pfirsichchenさん
さすがコアのファンだけあるねぇ〜。
ワタシャ、このブログを始めてからまたウィーンにしばし戻って来ただけだから、なぁ〜んにも判らん。
ウィ―ン少のサイトがあるなんて事も知らなかったし、興味も薄いし、第一昔はそんなもの無かったものね。
先日亡くなったカール・モイクに関しては、それこそ民族音楽の番組に飽きてもうずっと見てなんかいなかったんだわ。
真面目なコアのウィ―ンファンが記事を読みに来るかもしれないからPfirsichchenちゃんのコメントは此処では必須になっています。
ふわふわしている私の代わりにどうかあなたが責任を感じていて下さい。


ponko310
2015/06/10 18:27
過去の映像が残ってるとは素晴らしいですね。
キレイなボーイソプラノ、聴けば聴くほど惹かれます。コンサートで聴いた歌声が蘇ってきます。

オツムテンテン坊やの家庭教師…の話は笑えました。(^^)

ルカさんはponkoさんの永遠の天使ですね。
ひろみ
2015/06/11 16:08
ひろみさん
こ んな動画に出会って、ネットの偉大さが身に沁みて感じ出しているこの頃です。
清らかなボーイソプラノはどんな時でも心の安らぎを与えてくれますね。
私はどっちかと言うと心に沁み入って来る静かな落ち着いた曲が好きです。
飛んだり跳ねたりの歌は楽しいのですが、この歳になるとどうも騒がしくてね。

あ、やっぱりオツムテンテンのボクちゃんの場面を書いて良かったわ。どうもありがとう。

ファンのみんながそうであるように、自分の好きだった団員は何時までも天使のままなんでしょうね。
成人した元団員にとっては、はなはだはた迷惑だったりして、キャハハ。
ponko310
2015/06/11 19:05
焦っ玉、が無いのでおったまげ玉にしましたが。。
私はよく、かわいい♪をつけちゃってるかもしれません。
なぜなら?
おまじないの内容も、女子なら(いくつになっても女子は女子☆)
かわいい♪と思うものなんですが。
なによりもponkoさんの反応や気持ちが、かわいいのです。
文章の面白さに隠れていても、そのかわいさに私は気づくのでした。
YUKARI
2015/06/15 11:57
YUKARIさん
こんなコメントにはただ照れ臭いだけです。
あんまり照れ臭くて、冷や汗掻いて汗臭くなりました。
で、ついでにヤボ臭くなって、ふてクサれています。
で、YUKARIさんのくすぐったいコメントのせいで、ぜんぜん可愛く無くなってしまいました。
…嬉しいんだけど、てれくさ〜〜〜い。
でも、素直に喜ぶ事にします。
ありがとう、大きな癒しです。
ponko310
2015/06/15 15:50
 ケルンテンの夏すばらしいですね。83年組の顔が見えて懐かしいです。指揮者のホルスト・シュタインは、当時N饗をよく振っていた人で、実演を何度も聞きました。彼のおでこの特徴からうちでは、マッコウクジラと呼んでました。
 またウィーンやほかのドイツの合唱団のすてきな映像見つけたら、載せてくださいね!!
ヤマチャン
2015/06/16 16:42
ヤマチャン
此処に載せたテレジアンミサが気に入ってくれました?
エヘッ、楽しみを共有出来て嬉しいです。
この指揮者は日本でも活躍してらしたんですね・・・でもマッコウクジラとは大笑いです。
いつかこの人の指揮するコンサートに出会って、マッコウクジラの名前を思い出しちゃたらど〜しよう。
素敵なテレジアンミサで、このクジラさんが映ったら笑ってしまいましたよ。
私は83年組を知りませんが、とても水準の高いクラスだったそうですね。
彼らのコンサートの動画を見てもそう思いました。

ponko310
2015/06/17 07:04
おはようございます。って日本時間ですが(^^ゞ
そちらはこんばんは!かな。ここに来ると今まで知り得なかったWSKの貴重な歴史に触れる事が出来て嬉しい限りです♪それにしても1939年の演奏旅行でほとんどの子が祖国に帰れなかったとは!でもその後もポシティブにオーストラリアで暮らした彼らに私も感動しました。確かに当時の歌声のほうが高音に聞こえますね。
はっぴー
2015/06/18 09:20
はっぴーさんが来てくれた時間にはまだ寝てました、てへへ。
だってこちらは8時間遅れているんだもの。

この帰れなかった少年達は、調べて行くうちに本来のウィ―ン少年合唱団ではない事がだんだん判明して来ました。
動画の題名にはウィ―ン少何合唱団って書いてあるんだけれど、勘違いなんでしょうね。
当時もそうですが、今でも内戦などで避難して来るして来る人達が絶えないって悲しいですよね。
もう、小さい事でくよくよしていられなくなったわ。

ponko310
2015/06/18 18:24
そういえば、私の知り合いの男性も(もう70歳近いですが)元団員でオーストラリアに船で行って何日もかかって帰ってきたといってました。今はウィーンで大きな事業を営み、長男がやはり10年ほど前に団員として日本を訪れました。家族二代三代と団員になる家も珍しくない反面、近代どこの国でもあるように少子化が進み、海外に団員を求めるのがとても残念でなりません。
Pipi Langstrom
2015/07/18 15:16
ピッピへ
海外の少年達がウィーン少年合唱団員になるのは、もう随分前からの世界中のファン同士での検討の対象になってますね。
でも、オールドファンはどこの国の人も、合唱団の昔の水準を懐かしがっているみたいです。
私はそのコンサートを経験できた幸せ者の一人だと思うわ。
初来日の少年達も随分時間を掛けて日本に着いたみたいね。
いつかその方に会ったらそんな事も聞いてみたいわ。
ponko310
2015/07/18 18:50

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