青きドナウはウッソォ〜だった 

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zoom RSS 160 ウィーン少オールドファンのお部屋 3

<<   作成日時 : 2017/04/22 00:00   >>

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ekさんの思い出 1

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この画はekさんが私と同様に影響を受けてウィーン少年合唱団のファンになったきっかけの映画の場面です。
本当はこの「青きドナウ」の映画のドイツ語版を載せたんだけれど、消されてしまいました。
なんかなぁ〜、出演しているのは61年来日組の団員達ですが、この映画を見ると、私の知っている、いえ、オールドファンのみんなが知っていた昔のウィーン少年合唱団の歌声が無性に懐かしく思えてきます。
本来の英語版がこれ。
https://www.youtube.com/watch?v=X0ZzqjmYVVU&t=21s
タイマー隊のココのお兄さんが一番大きくてすぐに判りますよ。
オペレッタの金持ち役のヨゼフ君、今見てもハンサムだなぁ〜。


obst-0007.gif von 123gif.deさて、記事158にekさんからのコメントを載せさせて頂だいてから、私達はしばらくの間、毎日のようにメールで懐かしい64年組やウィーンへの旅の思い出話に桜の花や梅の花を咲かせていました。
でも一人で楽しんでいないで、仲間のオールドファンの方にもお聞かせしたくなったので、此処に公開させて頂くことにしました
このお話に64年組のファンだった私はわくわくしっぱなしでしたよ。
ここで他のオールドファンの方にも私のドキドキが伝わるといいなぁ。

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     1964年3月18日 フロシャワー隊が羽田空港に着陸

でもね〜、これから聞かせていただくekさんのお話の間に、興奮した私の緑の口出しが入るのは避けられないかも。
抑制して小文字でくっちゃべるけれど、それでも邪魔だったら無視して飛ばし読みしてくださいな。

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blume-0071.gif von 123gif.deさぁ、それでは私達は少しの間、あの頃に戻りましょう。

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  ( ウギャァ〜、この感じ、大人気だった64年組のあの頃の姿が浮かんで来る )

      舞台で目の合った天使は誰? engel-0042.gif von 123gif.de

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1964年4月29日、初めて聞く演奏会の日

画像映画「青きドナウ」を見てからすっかりウィーン少年合唱団のファンになった私は、横浜文化体育館のコンサートチケットを握りしめて心踊らせ仲の良い友人と二人で会場に向かいました。

場内には平坦に並べられた席が続いていました。
私達の座る場所と言えば、完売寸前に手に入れた最後尾の席です。
待ちに待ったコンサートが始まって、綺麗な天使の歌声はちゃんと届くのに、こんな後ろからでは、ステージが遠くて、遠くて、団員達の歌う姿は豆粒どころか、人の頭ばかりしか見えない。
(悲しいね、これは私が聞いたルカのコンサートの時と全く同じ状態でしたぁ。)

歌声しか聞けなかった宗教曲の一部が終って、二部のオペレッタの時は
幸い席が一番後ろだったので立って見てしまいました。
鮮明ではないにしても、ようやく彼等の可愛らしい衣装姿を遠くに見ることが出来ました。
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私が小柄だったからか、係員の方が黙認してくださったので、 最後の三部の時には思い切って席から離れて、二人で 一番前の席のアルト側の横の方に行って立ちました。
すると今まで殆ど見えていなかった団員達が急に近くになって、その神々しい制服姿の天使達に心を奪われてぼーっとなってしまったのです。

私が余りにもじっと見つめていたせいか、舞台の一番端の少年がそれを感じてしまったみたいに、お辞儀をして顔を上げながらちらりと視線をこちらに向けました。
けれどその時お互いの目がしっかりと合っちゃったんです

舞台に立つ団員と目が合ったなんて意識したら、その初めての経験になおさらぼ〜っとなって、客席の暗さを良い事に、その少年から視線が離れなくなって、まるで食い入るように見つめてしまいした。

少年は歌っているときは、懸命に指揮者を見ていましたが、拍手の起こる度にちらっちらっとこちらに目をやって、そのうちに真っ赤になっちゃったんです。(どうしよう、ミーハー気分になってドキドキしてきました。)
色白の顔のそのピンク色に染まった頬がまさに天使の絵のようでした。

あ〜、なんて美しい少年なのかしら。
その天使の瞳は私の心に深く焼き付きました。
。。。。。。sprueche-0031.gif von 123gif.de

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コンサートが終ってから
ひたすら思うのは、あの
少年は誰だったの?

あの美しい天使は誰?

でもその答えはいつも前列アルトの一番端で歌っている団員でしたから、すぐに判りました。

それからは、まるで炎の矢に胸を射られてしまったように、その少年がとても気に掛かかるようになってしまい、とうとうある日、お手紙を書いてウィーンに送りました。

沢山のファンレターが届いているはずなのに、その天使はお返事を下さり、その日から私の心は更に燃え上がり、文通が始まるとその赤い炎は大きくなって行くばかりでした (いいよねぇ、若い心は素直に燃えるから)

いつか、絶対あの天使達の住む夢の都に行ってみたい
お手紙で私に夢や楽しい時を与えてくださるファルナー家や他のペンフレンド達に会いに行きたい
そして友人達とは紙上のヨーロッパ旅行の企画をやり始めたり…。
なんて楽しいのかしら。(こっちも影響されてワクワクしています)
早く行きたいけれど、いつが良いかな
もちろん今でしょって言うわけにはいきません。

そうだ、感動の出発はあのクラスが来た1964年の10年後に!

そう決めると実現に向け頑張りました。
(今でこそ毎年外国に行く人はざらになっているけれど、あの頃はね、ヨーロッパ旅行なんてただの憧れに過ぎなかった少女がいっぱいいたのですよん。)

でも、いよいよその前年になると、会うのを楽しみにしている私のペンフレンドが兵役を義務づけられる年齢になっていたとわかりました。
1日でも良い、1時間でもよい、出来る限りずっと一緒に居たいと思っているのに、彼は普段の日はずっと兵舎にいなければならないのでしょうか。

でも、私の人生最大のイベント、最大の挑戦の日程はすでに変更がままならず、 会えなかったらどうしようという大きな不安を抱きながら、 一緒に行く二人の友人と意を決して実行に移す事になりました。

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           私達が乗って行ったのはこのバイカル号です。
kalender-0081.gif von 123gif.de1974年4月の下旬、Ponkoさんと同じように私達は横浜港からこの白い汽船に乗りました。
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いよいよドラが鳴って、ウィーンへの旅の出航が始まって行きました。
(わぁ〜、私達の時はこんなに沢山テープが繋がってなかったぞ。
 いやはや、3年経つとこうも違いが出て来るのかいな)

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私達が降り立ったこのナホトカの港は、もうウィーンと陸続きなのです。
(私達は此処でひねたウィーン少年合唱団員もどきを見て爆笑したんだっけ。)
ナホトカから列車でハバロフスクに向かい、モスクワに着いた時はちょうどメーデーでした。
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ekさんは赤の広場でこの写真を撮りましたが、私達は赤の広場をみそこなったぁ〜)
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モスクワ見学でクレムリンも写真に撮れました(私達はこれも見てないョ)

モスクワから発ったのは夜に入ってからで、ポーランドのワルシャワには翌日の14時ごろ着き、ウィーンへの列車に乗るまで2時間程その街を見学しました。(此処が違う。我々はポズナン行きだった。)
普通列車って横揺れするのに、ショパン号は上下に揺れるんです。
それもものすごく 飛び上がってばかりで笑いが止まりませんでした。
(いいなぁ、いいなぁ。その楽しそうな光景が目に浮かびます。)

チェコとの国境では夜中にポーランドの出国検査があり、夜が明け始めた頃には チェコの出国検査がありました。(はて、眠る時間があったのかな。)

5月に入ったチェコはあちらこちらに牧場のような広い野原が見え、 あそこに飛び出して、大声で「お〜牧場は緑〜」って歌いたいな〜なんて思ったりして。(その気持ち判る。私はチロルで飛び出しちゃったんだもの)
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いえいえ、私の目的地は緑の牧場ではなく、憧れのウィーンです。
はやる心をしずめるように 明け方の車窓を眺めていると、また新たに国境警備隊員がやってきました。
どこへ行くのか?滞在地は?と聞かれ 、ウィーンを中心にオーストリアは三都市を回る予定だと話すと クラーゲンフルトはとても良い所だから、ぜひ行きなさいと言われました。
彼の故郷なんですって。
ちょっと怖そうな隊員さんでしたが、やはりオーストリア人。
明るく鼻歌を歌ったりして 私達の緊張をほぐしてくださいました。

7時近くなると…ドナウが見えて高い建物が見え始めました。

ウィーン?

あぁ、いよいよウィーンなんだと思うと興奮が治まりません。
それをよそに ショパン号は静かに南駅のホームに到着しました。

わくわくしながら心の中で、あ〜、わが夢の都 と歌いながらホームに降り立つと、どこからか私の名前を呼ぶ男性の声が。

そちらを見るとその声の主のファルナーさん。
私の長期のペンフレンドのヴォルフガングさんのお父様です。

さぁ〜、この方のお出迎えで、そこから短くも一生忘れ得ぬ、私のウィーンの生活のスタートが始まりました。


ウィーン滞在1日目

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             宿泊先のホテルラートハウス(現在)
入隊中で会えないヴォルフガングさんに替わって、あれこれ手配してくださり、エスコートの役もつとめてくださったのは彼のお父様でした。

お父様が手配してくださったホテルは学生用の長期滞在出来るような施設で、交通の便利な街の中心にあり、古いけれど気持ちの良い場所でした。
ウィーンへの訪問前、お父様からは何度も希望の問い合わせをいただいていて、その親切なお手数に改めて感謝しました。

朝早い宿への到着でしたが、運よくお部屋が空いていた為に すぐにチェックインさせていただきました。

お父様は旅の疲れを取らせるためか、午後にまた迎えに来る事を約束して、ゆっくり休みなさいと言葉を残してお帰りになられました。

画像宿のオーナーと言う方が映画の「青きドナウ」のへラー先生そっくりな方で、とても優しくきめ細かいご配慮をして頂きました。

荷物をほどきながら、友人達と興奮しながらそのお話をしていたら、うわさの本人のへラー先生似のオーナーさんが温かいチョコレートを持って来てくださいました。
(まぁ、いったい何とサービスの良いホテルなのかしら!)
でも、ウィンナーコーヒーじゃなく、ホットチョコレート?

よほど子供に見えたのかしら?(うん、判る、私も14歳扱いされたから)
彼は私達の年齢を知っているはずだけど…。(でも外見で決められちゃうの)

そのホットチョコレートを有り難く頂いてから、ちゃんと荷物整理も済ませて、 私達は好奇心に駆られて近くをちょっと散策する事にしました。
近くじゃないと迷子になったら大変!
お父様が後で迎えにきてくださるって言っていらしたんですもの。

ウィーンに無事到着した安心感と、ウィーンにいる感激と、さっき頂いたチョコレートのおかげで 私達はお腹が空いていることに気づきました。
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そこでヴォティーフ教会近くの目に付いたカフェに入りました。
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何をいただく?
ウィンナーコーヒー?
私達が?
生意気に?
(私は当時はウィーンで一度も飲みませんでしたよ)

実は私、 苦いのが苦手でコーヒーよりココア派なんです。
そんな事を宿のオーナーさんは知る由もないのに…不思議な偶然。

カフェでは友人達にならって私も何か一緒に注文しましたが、今はもうなんだったか思い出せません。
ただ ちょっぴり気取って、 足など組んで 友人達とこの感激をおしゃべりした事ははっきりと覚えています。(何と微笑ましい)

その後はお父様をお待ちするためにすぐに宿に戻りました。
待ち焦がれた午後、お父様が車で迎えにきてくださいました。
写真とお手紙で知っているヴォルフガングさんの妹さんも一緒でした。

そしてハグしあえた妹さんの後ろにいるのは……
        まぁ、ヴォルフィ―なのです
              (ヴォルフガングさんの愛称です)
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       1968年 合唱団を卒業当時のヴォルフガング君

忘れもしないあの時の天使……いえ、見違えるような目の前の天使は、もうすっかり背高のある立派な青年になっていました。

「ようこそウィーンへ。 待っていましたよ。」

彼は私の手を握りしめながら、にこやかにそう挨拶してくれました。

私はどうしようもない感動で何を言って良いのか判らず、ヴォルフィ―の目を見て、彼が差し出した手を強く握り返しながら、「ありがとう」ってやっと口に出すのが精一杯でした。

私の心の中は混乱したまま、みんなで自動車に乗り込みました。
お父様とヴォルフィ―は前に、私達4人の女性軍は後ろに。

何処に行くのかわからないまま、突然目の前に宮殿が現れた時は
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    そこは華やかな春のシェーブルン宮殿でした。

宮殿の中では私は妹さんと仲良く手を組んで歩きましたが、彼とお父様がいろいろ案内してくださっている間、今度は私の方がまるであの横浜の舞台のヴォルフガング君のように、ちらっちらっと彼を見てしまっていて、 説明の半分も覚えていません……ごめんなさい。
何しろ、あんなに立派になった素敵な青年が現れたのですもの。
妹さんとはハグしあえたのに、ヴォルフィ―は眩しすぎて・・・・・

画像

宮殿から庭園に出るとお母様と下の妹さんが待っていてくれました。

私の目前には、あの憧れていたファルナーさんの御一家が今勢ぞろいで、美しいウィーンのシンボルであるシェーンブルンのお城の庭園にいる。
表面には出せなかったけれど、私の心の中は感激で大泣きでした。

丘の上のグロリエッタを散策後、 ヴォルフィ―は兵舎へ、 お母様はお買い物のためにと、そこでお別れしました。

でも私の両隣にはあの可愛い手紙を書いてくれていた妹さん達が。
ぽっちゃりした下の妹さんのそれは可愛らしい事といったら。
容姿がまるであの時の天使のヴォルフィーにそっくりでした。

その後はお父様の運転で少しウィーンを見せていただきました。
画像

そして、みんなで願望のファルナー家へ。

待っていたのはお母様の温かい手料理と、それを囲む皆との楽しいおしゃべりで、私のウィーン滞在1日目は過ぎていきました。

残念ながらヴォルフィ―のいないお夕食でしたが、それでもとても素晴らしいウィーンでの第一夜でした。
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             現在のホテル・ラートハウスの夜景
planeten-0088.gif von 123gif.de さあ、今日はここまでです。
ekさん、とても楽しいお話で私はドキドキしながら読みました。

仲の良いお友達と3人で、ホテルに戻ってからのおしゃべりもさぞ弾んだことでしょうね。
5月になると思いますが、これから先のお話も楽しみにしています。

今日の記事の主へのコメントは正にekさん宛てですね 。
smiley-0251.gif von 123gif.de

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コメント(56件)

内 容 ニックネーム/日時
わ〜なつかしい写真の数々ありがとうございます。当時の切り抜き、写真等ほとんど処分してしまった私には貴重なものばかりです。ponko さんもekさんもシベリア鉄道でウィーンに行ったのですね。いいなあ。今となっては歴史的な体験ですね。私は去年まで通信制の大学で勉強していたのですが、スクーリングで知り合った男性の奥様がウィーン少年合唱団のファンだったそうで、やはりお二人と同じルートでウィーンまでいらしたそうです。残念ながらもうお亡くなりになってしまったそうですが・・・。当時はナホトカ経由で行くのが主流だったのでしょうか。私が70年代後半に初めてウィーンに行った時は飛行機でしたが、それでもほとんど1日ががりでしたね。今はその半分の時間で行けるのですから、世界は本当に狭くなったものです。
ウィーンとファルナーさんのお話の続きを楽しみにしています!
ekさん、ウィーンでお泊まりになったところは、もしかしたら9区のAlbert Schweizer Hof じゃありませんか?

tack
2017/04/22 01:44
ekさま、はじめまして
姐さま、こんばんは
深夜の今しがた、偶然にもブログ更新に気づき、今夜はウィーン旅行のひと時を楽しませていただく、秋ならぬ春の夜長となりました。
ウィーンが近づくにつれての高揚感や、ペンフレンドのご家族、元WSK員に会われたときの感激は、まるで一緒に旅をさせていただいているかのように心に響き、ワクワクドキドキが止まりませんでした。
実は私がWSKを知り、ファンになったのは67年組からですが、その当時の彼らへの熱い想いも懐かしく蘇ってきました。
次回はペンフレンドの彼に会えるのかしら?
あ〜今から楽しみでなりません。
yuka
2017/04/22 01:53
tackさん
コメントを有難う。
でも私は今回は控えますわいな。
ekさんはまだ寝ているでしょうから、コメントのお返事は明日ね。
こらぁ〜、一番下の夜のホテルの写真に名前がのってるでしょ〜がぁ。
ponko310
2017/04/22 03:18
yukaさん
まさにこんばんわ。
そっちは明け方ね。
コメントを有難う。
こらぁ〜、ekさんはシェーンブルン宮殿でペンフレンドに会っているでしょうがぁ〜。
さぁ。次はだれに」こらぁ〜」って言おうかな。
ponko310
2017/04/22 03:21
おはようございます。夢見てしまいました。またウィーンへ行った夢を…
tackさん
私の旅日記に優しいコメントありがとうございます!
Ponkoさんが拙い私の旅日記のご報告を記事にあげてくださって素敵にまとめてくださって、自分の事なのに、あの時のドキドキが蘇ってしまっています…
はい、あの頃 海外に行くのは大変な事でした。私達のような若者にはとっては。
船旅、そしてシベリア鉄道での長旅 車中ではバイカル号でご一緒だったロシア・アカデミーの方々が私達の知っているロシア民謡を数々歌って下さったりと長旅が楽しく始まりました。
コメントありがとうございました!
拙い旅日記ですが続きも読んでいただけたら嬉しいです。
ek
2017/04/22 07:07
Yukaさん
はじめまして!
コメントありがとうございます!
憧れだったWienで憧れていたWolfgangさんご一家にお会い出来た時の私の感動・感激はYukaさんに伝わっていただけたら嬉しいです。
心臓が口から飛び出してしまうのではないかと思うくらいドキドキした彼との再会でした。笑わないでくださいね、初めて天使に触れたんですもの(握手だけだって)私には夢のような時でした。
ek
2017/04/22 07:25
Ponkoさん
Ponkoさんとの初めてのコンタクトからまさか 私の旅日記をこの素敵な場所で記事に取り上げていただくなんて 本当に光栄な事で、どうこの気持ちを表現したら良いのか戸惑うばかりです。
それも私の拙い報告をこんなに素敵に校正してくださって…。
何より間に入いるPonkoさんのコメントが嬉しくって、楽しくって。本当にありがとうございます!
宝物になりました。
ek
2017/04/22 07:34
ぅわ〜ごめんなさ〜〜〜い!
日本でのコンサート体験からウィーンまでの感動記があまりにも共感し過ぎるものでした。
添えられている白黒写真も相乗効果で、またより一層ノスタルジーの世界へと惹き込まれます。
とても平常心では読めていなかったのですね。
どこでどうなったか、いつの間にかヴォルフィーさまがペンフレンド氏のWSKお友達へと化していました。
フ〜深呼吸タイム。。。今一度内容をしっかりと確認しました。
もう大丈夫だと思います、次に行けそうです・・・多分・・・💦💦💦
yuka
2017/04/22 11:15
ekさん
あんな素敵な青春の思い出はもう戻って来ないんですもの。
心の中で次第に薄くなって行くあの日々が私達のおしゃべりでまた戻って来てくれましたね。
まるで私も一緒に同伴していた様な気分でした。
こんな楽しい旅行記を私のブログの一部にさせて頂けて嬉しく思います。
記事の中の余計なコメントにもお叱りの言葉を覚悟していましたが、反対に喜ばれちゃった、イヒヒ。
これからのお話が楽しみです。
あえてお願いしますが、出来たら当時の写真も添えてくださ〜〜〜〜〜い、どうか、どうか。

ponko310
2017/04/22 15:09
yukaさん
私はあなたに免疫を付けるために、どうしてもあなたをウィーンに引っ張って行きたくて仕方ありません。
そして日曜日のホーフブルクでのミサの後で、出て来る団員達を一人残らず捕まえて一緒にあなたと写真を撮るの。
その後は元団員達とコーヒータイムで昔話し。
どう?効き目はありそう?
ponko310
2017/04/22 15:17
Ponkoさん
こうしてお話させていただいて間もない私の旅日記を私の大好きなこのお部屋で記事にしていただいた事、本当に光栄に思っております。
ありがとうございます。
でも、お詫びせねばなりません。
当時の写真…皆さんに見ていただきたいのはやまやまなれど、Wolfiさんのような技術者でない上 全くもってピントの外れた写真ばかりで申し訳なくて。
Ponkoさんのお部屋の写真はいつも美しいものばかり。
そんな所に、私のピントはずれの写真。 ごめんなさい。
これからもそうなると思います。

Yukaさん
Wolfgangさんには会えないかと思っていた時に突然現れてくれたWolfi 私もあわてました。
一緒の気持ちになってくださってありがとうございます。
ek
2017/04/22 17:10
ekさん
ボケていても色が無くても、私達オールドファンにとって当時の写真は貴重な思い出に繋がる大切なものなんです。
どうか躊躇しないでどんどん出してくださいな。
だれか72年組の写真寄付してぇ!
ponko310
2017/04/22 17:20
ek様。64年組の歌声を生で聴いた上に、メンバーとペンパルになり、そのうえ、ウィーンに向かう船でアカデミーロシア合唱団の歌声まで、聴けたのですか!うわ〜私にとっては夢のようなできごとばかり。うらやまし〜〜!!!でもponkoさんもekさんも情熱と勇気なによりもWSKへの愛情の賜物ですね。
ヤマチャン
2017/04/22 23:35
ヤマチャンさん
ありがとうございます。
本当に幸せな旅の始まりになりました。ちょっと暗い感じのするシベリア鉄道の車内が、ロシア・アカデミーの皆さんの歌声で(古い言い方ですが)歌声喫茶のように明るい和やかな雰囲気に変わっていきました。
あの頃馴染みのあるロシア民謡が沢山有ったので、皆さんが歌うと自然に手拍子が起こり、団員の方の先導で他の乗客の皆さんと一緒に私達歌ってしまいました。
トロイカ 灯火 カチューシャ 黒い瞳とか…
私達の旅の目的はウィーン少年合唱団をメインに 音楽で繋がった友達を訪ねる事でしたので、そのスタートとしてアカデミーの皆さんとご一緒出来たのは、素敵な事でした。
ek
2017/04/23 04:57
ponkoさん、ekさん、すてきなお話ありがとうございます。
私も70年代に初めてヨーロッパに来ましたが、後半でしたのでもう飛行機でした。ちょうど格安チケットが出始めた頃です。それでもパリまででしたが。(ウィーンまでは列車で来ました。)でもそれまでは、シベリア鉄道の旅を考えたこともありました。昔はほんと、たいへんでしたね。
当時のウィーンでのお話、自分の思い出と重ね合わせて、いろいろ懐かしく読ませていただきました。今は自分がその街に住んでることが、ちょっと不思議です。
いろいろおしゃべりしたいけれど、今、日本への里帰りの荷造りをしているところで、ちょっと忙しいので、とりあえず、記事を楽しく懐かしく読ませていただいたことだけお伝えしたくてコメントしました。
去年の秋に、ウィーン-東京間の直行便がなくなって、フランクフルト経由で行く不便さを感じていましたが、昔のことを考えたら、贅沢な悩みですね。
お話の続きは日本で読ませていただきますね。
Pfirsichchen
2017/04/23 21:08
う〜ん、青春ですね〜!若い!
nene
2017/04/23 21:30
姐さま
お気遣いありがとうございます。
ホーフブルク教会はWSKファンにとって聖地のひとつ。
私にとってそこにはキリスト教の神と天使ではなく、ウィーンフィルの神演奏とWSKの天使の歌声しか存在しません。
何と不純で罪深いのでしょう。
ミサの後、出て来る団員を一人残らず捕まえての写真撮影?
目移りしながらネチネチと好みの団員君を探しているうちにみんな帰ってしまいそうです。
元団員とコーヒータイムで昔話し?
最近コーヒーに弱くなってあまり飲めなくなって来た。
それに私の語学力では話すどころか魔の沈黙時間となりそうです。
どうしましょう(ノД`)・゜・。
yuka
2017/04/24 00:40
Pfirsichchenさん
コメントを有難う
お里帰り、楽しんできてくださいな。
ほんと、今は飛行機で半日で地球の反対側ですね。
それだけ感動も薄くなってるのかな。
えっちらおっちら登ってようやく着いた山の頂上からの眺めはまた確実良いものですからね。
ponko310
2017/04/24 02:56
neneちゃん
若いってこういう事なのよね。
初めてポテチを食べた時は美味しくって目が飛び出たもんね。
今はただ美味しいなって思うだけ。
目はちゃんと納まってるわ。
ponko310
2017/04/24 02:59
yukaさん
はい、こうなったらホーフブルクと団員撮影は潔く諦めましょう。
心の中の憧れをいつまでも変わらずに穏やかに保つ方がよっぽど幸せかもしれません。
私の昔の美しい天使たちは、一人残らず髭とカラスの足跡いっぱいのオジンになっているのがわかってしまいましたから。
ponko310
2017/04/24 03:09
Ponkoさん、
山登り、素敵なたとえですねえ。
まあ、私の場合は、自分がこっちに住んでるからよけいだけど、最近は日本にいるファンも、昔ほどは感激してないんでしょうね。
今日、実はWSKもそろそろ日本に行くと聞きました。(なぜか毎年、私と同時期。それでもコンサート1回しか聞いたことないけど。)彼らも直行便利用者だったので、可哀そう。
Pfirsichchen
2017/04/24 07:46
Pfirsichchenさん
少年達は若いから結構平気なんじゃないかな。
昔は3〜4か月も演奏旅行をしていたからね、昔の方がもっと可哀想だったんじゃない?
御里帰りが合唱団と一緒の飛行機だったら面白いのにね。
ponko310
2017/04/24 08:04
Pfilsichchenさん
素敵なコメントありがとうございます。
Pfilsichchenさんの日々のウィーンの生活の出来事に比べたら、私が人生最良の出来事なんて興奮していることが、全くあの横浜文化体育館に並べられた座席のように平らいで驚かれる事なんてないでしょうね。
良いなー あの夢の都にお住まいなんて。
私の旅日記より数倍も、いえ、数千倍も素敵な経験なされているんでしょうね。
里帰りなさるんですか?道中素敵な事が起こりますように。お気をつけて!
お時間の出来た時に、Ponkoさんにお手数おかけしている私の旅日記の続き読んでいただけたら嬉しいです。
ek
2017/04/24 09:20
neneさん
はい、「あの頃君は〜若かった〜」ってどなたかの歌にありますが、若かったです。青春でした。
青春って言えるよりはちょっと年が…(遅いかも知れませんが)でも正に最高の青春時代の思い出です。
夢と憧れ それに向かう力 あの熱情が今もあったら…と今はため息の日々です。
でも あの素晴らしい日々の出来事が今の支えになってくれて、こうしてPonkoさんのお部屋を通して新しいお仲間とお話させていただいています。
本当にありがとうございます。
コメント嬉しかったです。
私のブログではないのに 私ったら… Ponkoさん ごめんなさい。そして本当にありがとう!
ek
2017/04/24 09:32
ponkoさん、
荷造りで忙しいと言いながら、またまたお邪魔します。
今までWSKと同じフライトになったことがないなあ。1日違いとかはあったけど。わざわざ同じフライトにする気はないけど、同じだったら面白いだろうなとは思います。でも最近は彼ら私服みたいだから、もしいっしょだったとしても、気づかないかもしれないけど。

ekさん、
私は70年代に旅行でウィーンに来た時、ペンフレンドは(WSK以外でも)1人もいなかったので、たいして感激する対面や経験はしてないのですよ。
ウィーンに住むようになって初めの頃は、たとえば、初めて車でイタリアに行く時に、「車で国境を超える!」ってことでものすごく興奮したりとかしましたが、今考えれば、アホなことです。
最近は、WSKや元団員が目の前にいても、どうってことはなくなってしまいました。
日本では、美味しい物をたくさん食べてきます!
Pfirsichchen
2017/04/24 20:29
Pfirsichchenさん
私ったら、前のコメントに対するお礼の書き込み、お名前間違えてしまっていました。ごめんなさい。
そうですね。昔は国境を越える時は検察があったりと大変でしたが、今はEUという繋がり(それも現在は様々な問題があるようですが) 国の行き来がスムーズになっていますものね。
ウィーンにお住まいだと、制服姿の団員に逢われたり、元団員の方々と通りすがったりなんて珍しい事ではないんでしょうね。
私にとっては羨ましい限りですが それこそが「我が街」という感じなんですね。
私には、夢の都のウィーンですが Pfirsichchenさんには地元なんですね。
ek
2017/04/24 21:29
ponko様 ek様 懐かしいお話しに胸がいっぱいです。私は今だに当時の団員を苗字で呼んでしまいます。ファルナー君と呼んでもいいですか? 横浜文体での印象は、本当に目の前にその情景が浮かぶようでした。素晴らしい思い出をお持ちで羨ましい。でもそれをこの場で分けてくださって、心から嬉しく思います。
やはり文通とかっていいですね。
今年のWSKは明日到着するようです。
maa
2017/04/25 01:50
maaさん
ekさんの舞台の思い出も、maaさんが書いてくれるコンサートの印象も、私は頭に描いて楽しんでいます。
自分で行かないで頭の中でしか動いていないので太るんだわ〜。
その上ポテチをつまみながら読むからもっと悪い。
でもね、美味しいもの食べて、素敵な記事読んで、幸せ〜。
ponko310
2017/04/25 01:57
maaさん
嬉しいお話ありがとうございます!
もちろん!Fahrnerさんと呼んでいただくと名前で呼ぶ時とはまた違った 彼の柔らかな穏やかな雰囲気が浮かび上がってきて嬉しいです。
私にとって最良の日々を皆さんにお話させていただけること 光栄です。
今年のウィーン少年合唱団の演奏旅行が、いろいろ起こっている今の日本に優しく穏やかな時を届けてくださると期待しています。
あの1964年に喜びと感動を日本中にもたらしてくれたと同じように。
ek
2017/04/25 03:38
目がちゃんと納まって良かったわ。当時は船で行くのが主流だったの?どれくらいかかるんですか?時間的にも料金的にも・・・。
nene
2017/04/25 06:02
neneちゃん
当時はウィーンまでの飛行機は高すぎて、普通の若い人には手が出なかったんだわ。
船と列車と飛行機を使って5日ぐらい掛かったかな。
費用は忘れたわ。
ponko310
2017/04/25 06:14
neneさん
Ponkoさんのおっしゃる通り、横浜のはとばから船に乗って〜ウィーンに到着するまで5日かかりました。
モスクワに滞在がコースに含まれてしまいますのでウィーンに到着したのは7日目の朝でした。
長い長い旅でした。
旅費ですか?当時で約40万近くを旅行社に払った記録があります。この他に自分たちで手配したホテルの宿泊費とか交通費とかオプションで訪ねた地での費用とかがありますから…(当時若者の月給が3〜4万の時代でしたから)私には本当に大冒険でした。
もちろんこの費用は横浜ーウィーンへだけの旅行社への支払いだった事はご理解ください。
ek
2017/04/25 10:08
ponkoさん、お邪魔します。
ekさん 
実は私も、自分でつけた名前をちゃんと書けないのですよ。間違えないように、いつもコピーしてます。
ウィーンで制服の団員に会うのは、偶然にはほとんどありませんね。30年の間に、一度だけでした。市電で。でも、元団員で歌手になった人には、コンサートなどでよく会います。(私の趣味はバロック音楽鑑賞です。)日本と違って、一般人も楽屋に入れますから。

船の旅ってそんなに高かったのですか!
私は当時、大韓航空で大阪からパリまで往復22万7千円でした。
ちなみに今回のフライトは、往復642ユーロ(7万7千円くらい)です。
(まだウィーンにいます。明日、早朝飛びます。)
Pfirsichchen
2017/04/25 20:17
Pfirsichchenさん
お名前の件は失礼してしまいました。今回は間違えないようにしなくては…。
でも、ご本人もチェックなさると知って ちょっぴり安心しました。
そうなんです。憧れだけでは、当時の私達には、なかなか実行出来ない高額な、贅沢な夢でした。
でも、いつか必ずって思いが叶えられて本当に幸せな事だと感謝しています。わがままをきいてくれた家族にも感謝です。
えっ〜 制服姿の彼らに市電で会った?やはり、地元ならではですね。
歌手になられた元団員のコンサート?それは素敵!私が知っている元団員の方っていらっしゃるのかな?
えっ!バロック音楽がお好きなんですか?私もです!特にバッハですが。
Wolfgangさんはoboeをなさっていたので、いつか彼の生の演奏を聴けたらと願っていたのですが、残念ながらその夢は叶いませんでした。
送ってくださったレコードの演奏だけで我慢しています。
所属していた合唱団の定演のオケ合わ等で第1音のoboeが響きわたる時、いつも彼だったらな〜とドキドキしていました。
ek
2017/04/25 22:21
高い!それに長い!そこまでされて憧れの団員さんに会いに行かれたお二人に脱帽です。お疲れさまでした!当時は格安航空券はなかったのでしょうか??船も高いですね。船のほうがゆったりセレブな感じしますが・・・。いずれにしてもすごい冒険されたんだなって思います。
nene
2017/04/26 04:15
neneさん
お褒めの言葉ありがとうございます!
そうなんです。夢を叶える事は一大事。あの頃は人生最大の挑戦であり、最大の 出費でした。
それだけに今でもあの旅行は人生最高の日々です。
船旅?今では豪華客船で世界一周とか素敵な船旅を想像されるでしょうが、バイカル号はあの当時 日本とソ連(ヨーロッパ)への定期便って感じで…船中の半分近くは船酔いで 私も含め皆さん青い顔して船室に閉じこもっていましたよ。
あの頃は飛行機でひとっ飛びは 更に高価な旅だったでしょう。
ek
2017/04/26 06:03
(見事にタイミングを外したリアクションですが)やっだー、ホテルの名前ちゃんと載ってましたね〜 うっかり見落としていました。あっ、ponkoさん、ムチで打たないで〜!

ekさん、シベリア鉄道での素敵な体験を聞かせてくださってありがとうございました。70年代はヨーロッパに行く日本人もまだそれほど多くはなくて、各地で今よりも温かく迎えられたような気がします。私もガイドブックにも載っていないドイツの田舎をひとり旅した時は、初対面の人にランチをごちそうになったり、一緒に泊まるホテルを探してもらったり、いろいろ親切にしてもらったことを思い出しました。なんだかあの頃がなつかしいなあ。それにしても、冷戦時代まっただ中のソビエト横断は相当な勇気が必要だったのではないかと思います。しかも花も恥じらう乙女ばかりでしょ。尊敬します、ホントに。
それから64年組に関しては、私もmaaさんと同じように名字の方がしっくり来るので、Fahrnerさんと呼ばせてください。団員同士でも名字で呼び合っていた、とかつてシャーリング君が言っていたような気がします(うろ覚えです 汗)。

さてponkoさま、「青きドナウ」のドイツ語版のup感謝、感謝です。実は私の知人にショーン・スカリー氏の親戚の方がいまして、彼女が今日ウチに見えたので、二人で動画をきゃあきゃあ言いながら観ました。彼女とは30年近くもお付き合いがあるのに、何年か前まで、ショーン君とのつながりを知らなかったのです。偶然分った時はビックリしましたよ!彼女はと言えば、ショーン君が当時それほど人気があったなんて全然知らなくて、「青きドナウ」も今日が初見だったのです。いやぁ人生は何が起るかわかりませんね。
tack
2017/04/27 00:09
tackさん
ショーン・スカリーさんに関するお話をとても面白く読ませてもらったぞよ。
へ〜え、本当に世の中には思いも寄らない話が有るものなのね。
動画を載せた事を喜んでくれる方が実際にこうしているってわかるとブログの面白さが増すのじゃ。
知らせてくれてありがとう。
鞭で打つのはこの次にするわ。
ponko310
2017/04/27 00:24
tackさん
素敵なお話聞かせてくださってありがとうございます。
旅って、景色より人との繋がりの事の方が覚えているんですものですね。
私の人生最大の旅も本当にたくさんの方々のお助けで、遂行出来ました。
思い出すのは、そこでお目にかかれた人達の事ばかりです。
ショーン スカイリーさんのご親戚とお知り合いとは 素敵なニュース!
私にとって 青きドナウは大切な映画です。彼らの映画が私を天使の国にいざなってくれました。
あの映画のファンは今でも沢山いらっしゃると思います。
ek
2017/04/27 06:58
嫌だわ。私 ショーンさんのお仲間をスカイリーなんてしてしまっていました。
失礼いたしました。
ek
2017/04/27 08:29
ponko様
 ブログが更新されて一週間近くなりますが、その間私は皆さまのコメントを楽しく読ませていただいておりました。
 ’71年に社会人となった高卒の私の給料は31500円。市内バス料金は20円、今は200円で週刊誌は90円、今400円程・・
1ドル360円の固定相場制。この年の夏変動相場制と変わりましたが。
 当時オーストリアはヨーロッパの東の端れで旅行する日本人は少なく、ロンドン、パリ、ローマが主で「オーストリアだけ訪れる日本人観光客は殆どいない。」とガイドブックに書いてありました。
 ウィーンのペンパルは「いつでもおいでよ。」と言ってくれましたが金銭的にも、一緒に行ってくれる友人もなく、諦めました。
 東西冷戦が終わり、ウィーンも簡単に行けるようになりました。冷戦がもう20年早く終わっていたら私の人生も変わっていたかも(笑)
越後の雪椿
2017/04/27 19:31
越後の雪椿さん
ようやくお顔を出してくれましたね〜。
そう、1ドル360円だったわね。
1マルクが100円だった。
私の初任給は28000円でその中から家に2500円の食費を入れてたんだわ。
友人と旅行に行こうと決めてから旅行費用が貯まるまで4年以上かかった。
しかし何で75年にドイツに行った時に飛行機なんか使えたんだろう。
71年の時は高くて手が出せなかったんだけどな。
そこのところが理解出来んわ。
ponko310
2017/04/27 22:30
 遥か昔の話なので、記憶があやふやですみませんが、ショーン・スカリーさんの兄弟、姉妹のいずれかが日本人と結婚されていると思います。そんな記事を週刊誌で見た記憶があります。
 元団員で歌手になられた方って’83、’86の2回来日されたゲオルク・ニゲル氏ではないでしょうか?2007の来日パンフレットに4ページにわたって彼のインタビュー記事が載ってます。
 私への質問でないのに出しゃばって書き込んでしまいました。すみません。
越後の雪椿
2017/04/28 21:13
越後の雪椿さん
此処はオールドのお部屋だから、あの頃の団員に関する事ならだれでもおしゃべりは大歓迎ですよ。
元団員で歌手になられた方って、ニゲルさんだけじゃなくてテリー・ヴァイとかエマヌエル・チェンチッチとか沢山いますよね。
あと、オペラ歌手でパウル・エーデルマンと言う人が78から82年まで合唱団にいたって?
ponko310
2017/04/28 21:56
ekさん
「青きドナウ」が忘れられないファンは沢山いますよね。きっと。いつかそのことを間接的にでもいいからショーンさんに伝えたいですね。
越後の雪椿さん
私の友人とショーンさんの関係は、プライベートなことなので詳しく書けませんが、ショーンさんのお姉様が日本の方と結婚されていたことは事実です。
ponkoさん
私は70年代後半に初めてヨーロッパに行きました。飛行機のチケットは、鈴木紀夫さん(74年にルバング島で小野田さんを発見して帰国させた立役者)が所属していた旅行会社でゲットしましたが、そこは世界に飛び出す冒険野郎をバックアップするという趣旨だったので、20万円台でヨーロッパまでのオープンチケットが手に入りました。格安チケットはその頃から一般的になったのでしょうかね。73年の第一次石油ショックをはさんで、経済状況が激変しましたから。


tack
2017/04/29 02:03
tackさん そうだったんですか。
何しろ私は世間のニュースに疎くて、そのころは結婚したばかりで有頂天になっていましたからね。
あと一年待って、73年にウィーンに行っていたらまた人生は変わっていたかもね。
ショーンさんは青きドナウの日本の人気を知る義務がありますよ。
私の人生は彼もひと役買っているんですからね。
どうだ、筋が通ってるじゃろが。
ponko310
2017/04/29 03:32
越後の雪椿さん
ソリストの事教えて下さってありがとうございます。
ニゲルさんやチェンチッチさんがプロになられたことは存じ上げていましたが、興奮して頭に浮かばなかった。
雪椿さんもPonkoさんも思い出させて下さってありがとう。
でも、音楽のプロになられた方って沢山いるのでしょうね。
歌手として、指揮者として、またマルシャートさんのように楽器演奏者としてご活躍なさっていらっしゃる方々は沢山。 Wolfgangさんも音楽に「音」にこだわったお仕事を選ばれました。私は彼も音楽の道を進まれたと思っています。
eK
2017/04/29 07:04
tackさん
「野ばら」や「青きドナウ」は私に取ってウィーン少年合唱団への手引き書のような気がします。
特に「青きドナウ」は少年達、団員達の日常生活、思いを教えてくれました。
憧れ 夢 沢山与えてくれた貴重な宝物です。
そんな宝物にご出演の方のご関係者さんとお知り合いなんて素敵です!
どうか、いつかその方に 日本には、いえ、きっと世界中に、あの映画によって、自分の人生の中に素晴らしい足跡を残すことが出来た人達がいること、今でも大切な宝物だ思っている者がいる事をお伝え願えれば嬉しいです。
tackさんがウィーンにいらした頃、飛行機での旅が盛んになったんですね。
あ〜また行きたいな〜。夢の都に。
ek
2017/04/29 07:25
キャ‐ッ!私もピンクのハ‐トを飛ばしまくりたいと思いました。
天使と目があって、こっちをチラッチラッと見てくれて顔が真っ赤になっているなんて
読んでいて、私もドキドキしました!
そしてまた、その天使とお友達になれるというのも夢のような出来事です。
ponkoさんの言われるように、楽しいお話は読んでいて伝染するようです♪

YUKARI
2017/05/02 12:12
YUKARIさん
・・・だよねー。
私も素敵なウィーンの天使と舞台で目が合ってみたいわ〜ん。
でもそんなことになったら、歌声なんか聞こえなくなっちゃってどこか天上の上の隅っこにへっついてしまっている気分になっちゃうかも・・・・・って、もうそんな年じゃないわさ。
でも、こういうお話って、まるで少女漫画の恋物語みたいで浮き浮きするのよね。
でもルカみたいにほんとの事なんだもの・・・・もっとドキドキするんだわ。
わぁ〜い、YUKARIさんをもっとドキドキさせたくなったわいぞ。
ponko310
2017/05/02 16:49
YUkARIさん
私の旅行日記にドキドキしてくださってありがとうございます。
全く見えなかった「彼」が 今は会えなくなってしまった「彼」になってしまいましたが、その間の年月を思うとき 熱いドキドキが沢山あって今でも 炎の矢が刺さったままでいる事を感じています。
ek
2017/05/03 06:56
ショーンさんの親戚の女性にこちらのコメントの「青きドナウ」についての感想を見せて、もし機会があったら日本のファンの気持ちを伝えてほしいとお願いしました。
彼女が直接ショーンさんに会う可能性は少ないかもしれませんが、ショーンさんの姪御さんたちを通して伝わる事を祈っています😊
tack
2017/05/27 23:43
tackさん
素敵なお知らせありがとうございます!
今でも熱い想いでピーター少年を見つめ、憧れや夢や音楽への愛を自分達の生活の力としている私達に取りましては、ショーンさんにあの映画を今でも大切にしているものがいることを知っていただけたら、本当に嬉しいです。
「俳優にとって、自分が演じた役を愛して貰えることは最高の栄誉で その作品を長く愛していただいていることは役者冥利につきる」とある俳優さんから聴いた事があります。
ショーンさんもそう思っていただけたら嬉しいです。
tackさんのお知り合いにも感謝です。
ek
2017/05/28 06:09
この思い出を読ませていただいて、なんだか胸がじーんとして涙が出てしまいました。
素敵な思い出なのにです。
ponko様 思い出って素敵ですね。
ek様 素敵な思い出お話くださってありがとうございます。
先日 母のご友人達にお会いした時 その中の何人かはウィーン少のコンサートに何度もいらした方々がいて、昔の(おば様達ごめんなさい)コンサートについてお話を聞けました。皆さんとても感動なさっていらっしゃいました。「少年合唱団と言ったら、やっぱりウィーン少年合唱団よ」「でもあの頃、他にもいろいろな合唱団来日していたわ」 おば様達の少年合唱団談義が楽しかったです。
以前の演奏会では、ek様が書かれていた小さなオペラがプログラムにあって、それがウィーンを感じる事が出来たと皆さん楽しそうにお話ししていました。
私が行ったコンサートでは楽器の演奏とか楽しかったですが、小オペラも観てみたい!
ek様の旅行記を読んで感じた涙はまだ私が味わえていない若い時の甘くほろ苦い それでいて美しい思いへの憧れみたいなものなのかもしれません。
mika
2018/02/17 07:34
Ponko様
Ponko様がこんな私の旅日記を大切な場所に加えてくださったおかげで、沢山の素敵なコメントをすでに頂きました。そしてまた今日 若いお仲間のmikaさんからの熱い感想を頂き 私がどんなに幸せな時を過ごせたのか再認識させていただけました。
mikaさんありがとう!
そしてお母様のご友人達がmikaさんに少年合唱団の楽しさをお話ししてくださっている時を想像して 私達も一緒にお仲間に加えていただきたかったと思いました。きっとPonkoさんも同じ思いになられたのではないですか?でも私達が入ったら、賑やか過ぎるとお母様達に苦笑いされてしまうかもしれませんね。
そう 昔(笑)のウィーンのコンサートにはオペレッタという可愛らしい演技と歌を楽しめたプログラムがありました。シュトラウスの曲が使われたりしていたので、ウィーンの香りが感じられ、まさにウィーンへといざなってもらえたんです。
ウィーンにはきっとあんな可愛らしい女の子達がいるんだろうな〜って夢見たものです。
mikaさんが旅日記を読んで涙してくださった事、私があのウィーンの礼拝堂で流した涙と同じだったのではと思いました。
mikaさんも見つけた美しい憧れを大切にしてくださいね。
ek
2018/02/17 21:45
私は昨日mikaさんからのコメントを頂いた時に、ちょうどベルリン在住のファンの友人と夕食を共にしていました。
それでお返事は後回しにして、まずはすぐにコメントだけを公開させていただきましたが、友人と合唱団の思い出話に花が咲いて時間を忘れてしまい、彼女はとうとう泊まっていくことになりました。
今日も朝からおしゃべりで彼女の帰宅が午後になってしまい、今ようやくPCを付けたらなんとekさんもコメントを下さっていました。
お二人ともありがとうございます。
ekさんのおっしゃるように私達がmikaさんのお母様たちのおしゃべりの仲間に入ったらきっと凄いことになるでしょうね。
昨日の友人はルカの72年組さえ知らない方ですのに、それでも合唱団の話でお互いに涙を流しましたから。
でも私の涙はekさんのロマンティックな涙と違って、ずっこけ話の大笑いで出る涙だったんですよ。
切なくも楽しくも、私たちに今でも涙を流させる当時の少年合唱団員達って、すごかったんですから。
何がすごかったかって、私たちに今でも涙を流させるから。
ponko310
2018/02/18 00:08

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160 ウィーン少オールドファンのお部屋 3  青きドナウはウッソォ〜だった /BIGLOBEウェブリブログ
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