168 築地の火事がトマーナに火移り~枝分かれ

それは今年の8月3日の午前中の事でした。
-----って書いてる時点ではそんなに日が経っていないけどね。
(11日からは愚かな北朝鮮のロケットの話題の方が重大になりました。キムとトランプはこの世界に新しい戦争を増やすつもりだったのかしらね。あのたった二人だけの石の投げ合いからこっちにまで波紋が来るなんてのはとんでもない事です。)

何気なく母とまた雑談がしたくなって電話を入れたとたん、今、築地が燃えているよと言われたので慌ててPCを覗いたのです。
(何しろこの時代に携帯を持っていないので何に関しても疎い)
するとそこには世界最大の魚市場で、観光名所としても有名な東京の築地市場でもくもくと黒煙が吹き出ている火事の画面がありました。
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火事は怖いけれど火が好きなので他人事のように一心に見入っていると(だってドイツからじゃ遠すぎて実感がわかないんですよ。それに怪我人もいないと言う事だったしね)丁度ekさんからメールが入りました。

築地の話をしたら、(ちなみに彼女もへばりつき病ですから、病人同士の会話としてすぐに団員との思い出話に繋がります)あそこには1977年のトーマス教会少年合唱団が来日した時に、一部の団員達とお寿司を食べに行ったとお返事が戻って来ました。

え~、 築地なんて行った事もないし、そんな所のお寿司屋さんで団員達とお食事だなんて、凄い贅沢じゃんかぁ~
そんな経験をしたことが無かったのでもう、浮き浮きです。

ところが、話を聞いてもう、それどころではなくなりました。

これからその驚いたお話を順を追って書いていきますからね。

東ドイツのライプチヒに拠点を置くトーマス教会少年合唱団の初来日が1975年でしたが、私はちょうどそのころベルリンに移って来ました。

青きドナウの映画でウィーン少年合唱団のファンになった60年代の中ごろには、ドレスデン聖十字架合唱団のペンフレンドからの手紙で、ライプチヒとドレスデンの両聖歌隊の指揮者が兄弟同士だと言う事を聞いていましたからその合唱団の名前だけは知っていました。

記事162などのお話を聞かせて下さったekさんは、すでにその前にトマーナのペンフレンドがいて、初来日の75年には東京で感動の出会いがあったんですから。(何時かそれも載せて欲しいと願っています。)

あ、ちなみにトマーナとはトーマス教会少年合唱団の団員の名称で、ドレスデン聖十字架合唱団の団員はクロイツィアーナと呼ばれています。
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75年の初来日の時はともかく、77年の二度目の来日でも、トマーナは日本ではまだウィーン少年合唱団のようには知られていなかったのでファンはそんなにいなかったそうです。

あ~、そう言えば77年にはちょうど長男がお腹の中にいた頃でした。
ドレスデンのペンフレンド(記事26)がロストックの大学からベルリンに来ていて、会いたいとお手紙をくれたのですが、彼は共産圏の東ベルリンから壁に囲まれた自由な西ベルリンに入ることが出来なくて、再会は諦めるしかありませんでした。
もちろん私のほうが東ベルリンに行けば簡単だったのですが、体調もそれほど良くなく、大きなお腹を抱えて昔のペンフレンドに会いに行くなんていうのもカ~ッチョ悪くて気が引けたんですね。
私はその後、慣れない育児と大して裕福とは言えない生活に気を入れて
記事155で会うまで彼の事をすっかり忘れていました。
その後は彼ともネットで間接的に接触がありましたが、まだ直接には連絡を入れていません----何でだろう。
お返事は絶対に有ると確信しているのですが、歳を重ねるとああいう突拍子もなく聡明な男性方に外国語できちんとしたメールを打つのが億劫になって来てね。
日本語ならともかく、そういう面倒はルカだけで充分なのじゃい。

話がドレスデンに枝分かれしちゃったついでに。
6月に彼らがベルリンの連邦園芸博覧会でコンサートをしたんですよ。
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その前日の夜、カフェバーでアンスガーと言うかっちょいい年長の団員とお話をする機会に恵まれました。
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雑談の中で昔、私のペンフレンドが団員だった時に、ウィーンでのコンサートで新聞にウィーン少年合唱団よりもドレスデンの方が優れていると書かれた新聞の切り抜きを送ってきたと言うエピソードになりました。
するとアンちゃんは急に身を乗り出してその切り抜きがどうしても欲しいと言い出しました。
「僕たちの方がウィーン少年合唱団よりも優れているなんて」
と言っては嬉しそうな顔つきで顔の筋肉がモヤッと緩んでいます。

でもね、もう50年も前の話だし、思い出の品はすべて処理してしまったの。
でも彼はどうやらその切り抜きに興味があって仕方がなかったようです。
お気の毒様、もう無いものは無いんだよなぁ~。
直接送ってくれた本人に聞けばいいよと彼の名前を教えてあげましたが、大先輩の彼に敬遠して多分連絡なんてしないでしょう。

彼等のコンサートは思った以上の以上に気に入りました。

はたまたひどい撮り方ですみません。
ベルリンドームの少年合唱団の歌声が耳に残っていたのでね、この合唱団を聞いたら感激して椅子からずり落ちそうになったわ。
でも舞台が終るとただの坊や達。
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そしてお年寄りは歩きなんてしません。
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そうそう、偶然会ったこの小さな坊やは8月からドレスデン十字架少年合唱団に入団する8歳のグスタフ君。
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お父様が合唱団に関係ある方だそうですから寂しくないね。
君が団員になったら私が一番最初のファンだよって言ったら、嬉しそうに「ほんとう?」だって。
可愛らしいったらないの。

帰ろうとしたら合唱団のバスが1台ありました。
舞台で見た可愛い子達に会いたいなと思って、声を掛けると写真を撮らせてくれると言われました。
喜び勇んで中に入って「コンサートよかったよ」とカメラを向けたらみんな軽快に乗ってくれたけれど、あっちゃぁ~、わっと笑った声はムンムンのお兄ちゃん達ばっかりだったの~。
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さて、意を正してトマーナの話に戻します。

変声期で来日出来なかったペンフレンドのお手紙を持ってきてくれた少年がいて、ekさんたちはしばしば彼等の宿泊していた晴海のホテルに通っていました。

総合文化社の招聘で来た彼らは、9月初めの東京公演を皮切りに、東北や関西を周って月半ばに東京に戻って来ました。

ところが驚いた事に、招聘元が倒産寸前に陥っていて、少年達の泊まっている部屋代や賄い費など払えない状態になっていたらしいんですね。
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当時トマーナが泊まっていた晴海のホテル浦島ですが、今はありません。
ネットで調べたらこんな評価が見つかりました。
「部屋が狭くて壁が薄いです。
 廊下は細く長く、火事になったらと思うとぞっとするホテルでしたね。
 あとユニットの蛇口が閉めても閉めても水が細く出ていた記憶が。」
 
「修学旅行生や晴海のイベントの関係者の常宿でした。
 そうそう日当たりが良すぎて昼寝には不向きのホテルでしたね。
 お部屋も相当狭かったです・・・」

それにホテルの閉館前の動画----特にわるそうでもないけれどなぁ。
寝るだけの目的のお部屋ならこれで充分じゃない?
でも団員達はきっとロビーやサロンでずっと過ごしていたんでしょうね。

ホテル側としても、費用が嵩むばかりのこんな大きな合唱団のお客をかかえてどうすることも出来なかったのではと思います。
それでも子供たちを空腹のままにさせておくことは出来ないと、従業員の計らいで毎日カレーライスが出されていたそうです。

「それで彼等にとっては日本食と言ったらカレーライスになっちゃたの」

ゲバントのオーケストラメンバーや年長者たちは自分らで何とか出来たようだけれど、小さな子達はカレーライスの毎日でした。

そんな惨めな状態を見かねたファン同士がグループを作って、毎日2~3人づつ食事に連れて行ってあげていたそうです。

「団員と築地に行ったり、銀座のお好み焼き屋に行ったりして楽しかったけれど、反面私達は必死な思いで励ましていたの。」

予定していた帰国日でさえ、渡航費が払えないために日延べ日延べになり、「僕たち、本当に帰れるの?」と泣き出す子まで出て来たそう。

そういう中、彼らは残りの東京公演を歌い続けたのです。
彼等のプログラムは大曲ばかりで、お腹を空かしながら倒れそうになって歌っていた子が何人もいました。

国に残っていた団員達が東独政府に掛け合ったそうですが、日本とは国交も無いし、反対に資本主義はこれだからダメなんだと言われたそうです。

全曲歌う予定だったクリスマスオラトリオでしたが彼等にはもう体力的にも精神的にもそれをこなす余力はありませんでした。

「それで前半だけで終わったの。 事情を知らない観客は不満げだったけど、私達は良くやった!頑張ってくれた!ってホテルに戻って皆で泣いたのよ。」

結局東独と懇意だったソ連が動いて、ソ連大使館がアエロフロート機の手配をしてくれ、ようやく帰国出来ることになったそうです。
招聘会社はその年の終わりに倒産して姿を消したそう。


私はそんな事が起こっていたんだ~、と口がふさがりませんでした。
これは2012年に来日した頃のトマーナの団員たちですが、友人の話を聞くとこの子たちは日本でそんな目に合わなかったみたいですね。

この動画で歌っている小さなクラウディオ君は今193センチですってよ。

しっかし、招聘するのも簡単な事じゃ無いんですよね。
特に大人数の合唱団は難しいのでしょう。
だから、今年来日した南アフリカのドラケンスバーグ少年合唱団も前後の二手に分かれて来日したのでしょうね。
maaさんの記事を読むと、もし彼等が一度に舞台に立ったなら大地震と火山の大噴火の真っ只中にいるみたいな大興奮のコンサートになっていたのかもしれないなぁって、すごく楽しくなりましたけど。


つい最近、日本でも2003年に公開されたエーリヒ・シャーリング------じゃなくて、エーリヒ・消すとな、おっと、ケストナーの飛ぶ教室という映画がテレビ放映されました。
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それにはあのトーマス教会少年合唱団が背景になって出ているんですよ。

前にも見た映画でしたが、今回は先にあげたekさんの話を聞いた後なので、あんたらの先輩たちはよくやったんだよ、とテレビに向かって思わずイイネしました。


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この記事へのコメント

ek
2017年08月19日 01:19
Ponkoさん
待ちに待ったベルリンでのクロイツコアの様子聞かせてくださってありがとうございます。
築地市場の火事のあの日、ドイツにいるはずのPonkoさんから同時中継のようにニュースが。火事は悲惨で悲しい出来事でしたが、Ponkoさんの情報網の速さに驚いたと同時に築地から晴海に思いが飛んでしまいました。
そしてそれは辛い思い出でもありました。
大切な友達の合唱団があんな目にあってしまったんですから。
ここでちょっと訂正させてくださいね。築地のお寿司屋さんと言っても高級なお店ばかりではありません。若い(?)ファンの私達が行ったのは大衆的なお店ですし、銀座のお好み焼き屋さんなんて高級そう。私達は上野の下町のお好み焼き屋さんに行きました。それと、手紙を預けてくれたペンフレンドは変声ではなく、年長者で卒業生でした。ってどうでも良い訂正ですが。
私にとってトマーナは、ウィーン少年合唱団同様 大事な沢山の感動と思い出を残してくれました。
でも、あの頃のあの国は明るい楽しい思い出ばかりではありませんでした。
でもね、私の会ったトマーナの皆 可愛い素直な少年達、素敵な青年達ばかりでした。
だから 余計 楽しく日本を満喫してほしかったです。
救いは 初来日の団員達、あの年の団員達から帰国後「日本旅行は楽しかった」って沢山の手紙を受け取れた事。
あの年に来日したトマーナの皆さん ゲバントの皆さん 本当にありがとう!お疲れ様でしたってもう一度大声で言いたいです。
ponko310
2017年08月19日 02:36
これって、招聘会社の失敗なの?
そりゃあ、若いあなた方が高級料理店に行けるはずはないね。
私は築地に行ったことが無いので、築地と聞くと高級に結びついてしまうの。
でも、珍しい経験が出来た団員は運が良かったのね。
ek
2017年08月19日 10:44
もう~Ponkoさん…
珍しい経験が出来た団員は運が良かったねとは…。
もちろんPonkoさんはそんな状況下でも、あれこれ食べ歩きが出来て良かったねとおっしゃっているのは解りますが…
食事中、ひとりの小さな団員がぽつっと呟いたんです。それも笑顔で。「美味しい!!皆で食べたらもっと美味しいだろうな」って。
私は謝る事しか出来ませんでした。彼等は何も悪くないのにこんな思いをさせているなんて…。
招聘会社は6月にはベルリン室内管弦楽団を招聘していて、来日メンバーにお知り合いがいたので何度かお目にかかる機会を頂いたのですが、その時は楽屋でもホテルでも会社がそんな状況だとは微塵も感じなかったんですが、すでに水面下では…?。
招聘会社の担当者の方との思い出はトマーナの初来日の時です。演奏会後 懇親会が開らかれたのですが、団員達が到着する前、私、テーブルにバナナの山を置いたんです。
担当の方は「なんですか?これは!」って驚かれたんですが 会が始まって数分でその山が消えて…。担当者の方々と大喜びしたのを思い出します。
あらあら、また話が私の思い出に枝分かれしてしまいました。ごめんなさい。
ponko310
2017年08月19日 16:38
ekさん
当時は東ドイツと日本は国交が全く無かったのですし、一般の人は東ドイツの状況を知る由も無かったでしょう。
私もバナナが東ドイツでは非常に珍しい高級品だと言う事をこちらに渡って来てから初めて知ったのです。
だからその時バナナの山に驚かれた日本の担当者の反応は判りますよ。
カレーライスは好きですが、スリランカで毎日必ず何かのカレー料理が出て、鼻に憑いた事がありますから、カレーライスだけの毎日と言うのはさすがに驚きました。
みんなと食べたらもっと美味しかっただろうな、と言った団員はその時の美味しさを一生忘れないと思います。
でも遺憾に思うだけで、あなたが彼等に謝ることは無かったんじゃないですか。
だって、招聘会社が費用を出せなくて少年達が空腹だったのはあなたのせいじゃないんですもの。
何だか、友人が自分のせいで亡くなったと思い込んでいた時の、あの心情と共通するような気がします。
でもそれって、ナチの残酷な仕業に今のドイツ人が今でも責任を感じている心情と同じなのかな。
Pfirsichchen
2017年08月22日 19:40
Thomanerの日本公演での話、驚きました。東ドイツ人が、国に帰りたくても帰れないって・・・。政府がやっきになって連れ戻したがるものだと思ったけど、違うんですね。
確か88年頃のThomanerかKreuzchorの日本公演では、青年団員が数名亡命したと(日本にいた)母が新聞で読んで、教えてくれました。

1987年の12月にウィーンで、Thomanerのコンサートがあり、私は初めて彼らを生で聴くことができました。そのために日本からウィーンに来た団員のペンフレンドの人たちがいて、彼女たちから、団員のウィーンでの宿舎がユースホステルだと聞き、ちょっとだけびっくりしました。でも、日本でも似たような待遇を受けてたとは!
12月なので、もちろん演目はクリスマス・オラトリオ。それも全曲。素晴らしかったですよ。クリスマス・オラトリオはその後もずいぶん聴いたけれど、後にも先にも、一回の公演で全曲(つまり新年まで)通して歌ってくれたのはThomanerだけです。全曲歌うなんて、(少なくてもウィーンでは)とても珍しいこと。確か、翌日の別の都市での彼らのコンサートでは1から3まで(クリスマスまでの部分)だと、ペンフレンドの人が言ってました。だから彼らが日本で、疲れて半分しか歌わなかったことも、全然問題じゃないですよ。むしろそれが普通なのだから。

Thomanerを舞台にした「飛ぶ教室」、私も大好きです!何度も観ましたよ。
ponko310
2017年08月22日 22:24
ドレスデンの年長団員4人が日本公演の際に西ドイツ大使館に亡命したのを聞いたのは1989年のベルリンでキルヘンターク(プロテスタント教会大会)でドレスデンのペンフレンドに18年ぶりに再会した時でした。
それはこのブログのどこかにも書いてあるはずですけどね。
すごい、トマーナがウィーンでコンサートをした時にわざわざ日本からファンが聞きに来たの?
あぁ、1987年じゃ、まだ東の壁は開いていなかったし、少年合唱団ファンだとしたら音楽の都のウィーンなら一石二鳥でいいチャンスだったのでしょうね。
でも、若者にユースホステルは悪くないと思いますよ。
私もオーストリアを旅行した1971年は大いにユースを利用してました・・・・ちょっとうるさかったけどね。

飛ぶ教室はekさんのお話を聞いてから益々気を入れて観てしまいました。
Pfirsichchenさんはテルツ少年合唱団が出演した「Sängerknaben」の動画も見た?
https://www.youtube.com/watch?v=fN_VrjW50uI
Pfirsichchen
2017年08月23日 00:36
テルツ少年合唱団が出演したテレビドラマ「Sängerknaben」は全部観ましたよ。
録画もしたけど、DVDにする前にDVDレコーダーが壊れて、修理に出したら、ハードディスクが空で戻って来て、がっかり。
「飛ぶ教室」ではThomanerchorがThomanerchorだったけど、「Sängerknaben」ではテルツ少年合唱団は別の名前でしたね。でも日本公演で「魔笛」をやったりってシーン、ありましたっけ?
このドラマ、日本の友人も、日本のテレビで観たことあるって言ってたわ。
ponko310
2017年08月23日 02:54
すべてのシリーズを見たわけでは無いけれど、私が覚えている場面は日本のホテルで団員の一人がピアノの前で独唱して、その歌い方が余りにも役者ぶっていて首を横に振ってしまったって事だけ。
ただ、日本のホテルにいる少年合唱団員が72年組と結びついて、懐かしくって涙が出て来たんだわ。
もうずいぶん前の事だったなぁ。
YUKARI
2017年08月24日 12:25
えっ?築地が火事になってたんですか?
知らなかったです。
こちら(日本)では今、芸能界や政界の不倫の話題が毎日目白押し、だからでしょうか。
日本にいる私よりも、ドイツにいるPONKOさんの方が事情通なのが面白いなと思いました。
北朝鮮のミサイルは21日にも飛ぶか?と言われていて、名指しされた県ではありませんが近かったので本当に大丈夫なんだろうかと珍しく不安になりました。
ponko310
2017年08月24日 19:06
YUKARIさん
えっ!
築地が火事になったのを知らなかったんですか?
不倫の話題で火事の話題が入り込む場所が無かったなんて、日本は平和なのかな~、なんて不倫された本人には平和どころじゃないわね。
私は芸能人の不倫なんて興味が無いから、話題を他に探すのね。
テロとか、戦争とか、世界の平和を脅かす方角に目と耳が行っちゃうんだわ。
北のミサイルが飛ばされなくて一応安心はしましたが、あの二人のキチガイが政治を動かしている限り何が起こるか判ったもんじゃないわね。
ヤマチャンヤマ
2017年08月30日 21:39
 77年のトーマナコールがそんなひどい目にあってたなんて、知りませんでした。どうして報道されなかったのでしょう。ゲバントハウス管弦楽団も一緒だったのですから、公表されていれば支援活動もあったはずだと思います。そういえば、旅行会社が倒産して、旅行中の人たちが、ホテルを追い出されたり、帰りの飛行機がなかったりして、大変だった事件があったのを思い出しました。日本人として、こんなことを繰り返すことが恥ずかしいです。ekさんはじめとした、やさしいファンの存在がせめてもの救いになりましたね。
ponko310
2017年08月31日 03:16
ヤマチャンヤマさん
あれれ、ヤマチャンさんではないの?
そうね、何にしてもお客様を抱えたまま倒産するのが一番迷惑よね。
旅行会社もそうだけれど証券会社とかもね。
招聘会社だってそう言う事があったのだし、大人だけならともかく子供まで道連れになったんだから問題だわ。
ekさん、何とか言って此処に出て来てよ。
ek
2017年08月31日 04:49
ヤマチャンヤマさん
総合文化社の倒産の動きは本当に水面下で揺れていたんです。会社自体大きな規模ではなかった事もあって余計 内々で動いていたようです。
こういう会社は諸事情から倒産を公にするのは本当に直前に通達するみたいです。
だから私達もホテル側から支払いが遅れているようだ…位としか はっきりしたことは教えられなかったのです。総合文化社はその年末から新年にかけて ズービン・メータさんとロサンゼルスフィル(?)を招聘予定のようでしたから、担当者さんはそちらにもバタバタしていたんではないと思います。最終的にはメータさんだけの来日になったみたいです。
正直、私達は少年団員達の様子から、私達に出来る事はと動いただけで団全体やオケの事まで考えている余裕はありませんでした。私達ファングループの間では彼らは大人だからなんとかするだろうと思ってしまっていましたから。
新聞などに掲載されたらすぐそこで倒産を公言し、当時の業務にすべて終止符をつけられてしまって もっと大きな混乱になっていたのではと推察しています。
二年前のトマーナの東京での宿泊は高輪プリンス。そして二年後はPonkoさんが教えてくださったような ちょっと危なげなホテルになって。それも何かあっての選択なのかもしれませんね。でも ホテル側の対応はとても良かったと記憶しています。
ただ言える事は彼らの来日が9月いっぱい 総合文化社の倒産の発表が11月末だった事実です。
そして ライプチヒで彼らの帰国を待つご家族が一晩空港で待ち明かした事実だけです。
ヤマチャン
2017年08月31日 17:43
 あれれ、ちゃんとヤマチャンと打ったはずなんですけど・・・。失礼しました。
 確かにekさんの言うとおり、発表したら余計混乱したかもしれないですね。でも彼らの窮状を知ったなら、きっと支援の動きもあったのではと思います。ただ当時は石油ショックやドルショックなどの影響で、景気が悪く就職も厳しい状況で、新宿の地下街に女の浮浪者までいた時代でした。戦後の発展が突如終わってしまって、生まれて初めて味わう暗い時代でした。その後バブルがきたのですけどね。
 ekさんは、どの合唱団とも親しく交流されていたようですけど、もしかしてかつての合唱愛好会のメンバーだったのですか?
私は70年代から88年までは、合唱団の公演に行っていたのですが、そのころにお知り合いになりたかったですね。残念!

ek
2017年08月31日 19:51
やっぱりヤマチャンさんでしたか(笑)

64年のウィーンに魅せられて、次々に来日する合唱団の演奏会にできうる限り行きました。
そしてヴォルフガングさんを通して文通の楽しさを知り いろいろな合唱団にお友達を求めてしまいました。
トマーナは以前から文通をしていた友人からの紹介でした。本当に素敵な友人達です。
ヤマチャンさん、増山さんのお名前は当時から存じ上げておりましたが、私は合唱愛好会には在籍していませんでした。
私も当時からヤマチャンさんと親しくお付き合いさせていただきたかったです。
きっと、今より更に熱く燃え上がっていただろうな~と非常に残念な思いです。
今からでも、どうぞよろしくお願いいたします。
そうでしたね、あの時勢ちょっと苦しい時期でもありましたね。そんな中、トーマスの皆さん、本当に頑張ってくださいました。
ひろみ
2017年09月02日 16:34
ホテル浦島、若い時(うん十年前)宿泊しました。
部屋の状態とかは全く覚えていませんがホテル名は記憶に残ってました。

そんな事があったんですね。
毎日、食事がカレーとはびっくりです。
カレー好きだとしても流石にウンザリしますよね。
グスタフ君、団員になったら、きっとファン1号のponkoさんを思い出すでしょうね。

ponko310
2017年09月02日 17:11
ひろみさん
わ~い、お久しぶり。
このホテルに泊まったのですか。
覚えていないって事は大して印象に残らなかったことですね。
今は跡形もないなんて寂しいな。
72年組の思い出の川崎の日航ホテルもなくなっているしね。
ドレスデンがベルリンに来たらグスタフ君に会いに行くわ~・・・忘れられてる可能性大いに有り、あはは。
mika
2018年03月07日 16:42
ponko様
このお話を読ませていただいてびっくりしました。
子供の頃、バッハ好きな母に連れられて トーマス教会合唱団のマタイ受難曲を聞きに行った事があります。まだ小さい時でしたし、言葉は解らないし、難しくて退屈しちゃったのを思い出します。先日、母がこの合唱団の事を話してくれました。そして、母の持っていたトーマス教会合唱団のマタイ受難曲のCDを歌詞対訳を読みながら聞きました。素晴らしい演奏でした。
ek様がこの合唱団の小さな団員君達の窮地を助けられた事 感動しました。
今年の1月に母や母のご友人達とクリスマス・オラトリオ全曲の演奏会に行きました。これも長い作品でしたが、でもちょっと成長した私にもこの曲の素晴らしさがわかりました。こういう大曲を少年達が歌っていたのかと思うとただ尊敬してしまいます。
ponko310
2018年03月07日 20:02
こんな話を聞いたら誰でもびっくりしますよね。
音楽を楽しみに舞台を鑑賞しに来るだけ(それが当たり前なんですけれど)の人が多い中、私はいつもそこに歌う少年達の人間性や体験談にも興味がありました。
それは1963年に見た映画「青きドナウ」のせいなんですよ。
寄宿舎に入って親元から離れて、歌うことに自分の子供時代を捧げてきた少年たち。
彼らの歌だけでなく、その舞台があるのは彼らの強い根性があってこそなんですもの。
ekさん、食べ盛りの子供たちに食事をさせてあげてくれてありがとう。
彼らはきっとまだ忘れてないと思うよ。

いつも灯台元暗しなのでまだトマーナの実際の舞台を見たことがありませんけれど、バッハはトマーナの「のれん」だとは知っています。
曲をYouTubeで見ているものぐさですが、3時間以上もあるマタイ受難曲は子供には長すぎると思いますね。
やはりこれは音楽好きな大人の曲です。
(YouTubeの良いところは繰り返して気に入った部分を聞けることと、途中でコーヒーを淹れられること)
私の友人がトマーナのファンで、時期が来るとライプチヒまでクリスマスオラトリオを毎回聞きに行っていますが、去年はお気に入りの少年が座る椅子が足りなかったとかで、立ちっぱなしのその子が気になって音楽がそっちのけになった、とか、あ、余計な雑談でしたね。
mika
2018年03月07日 20:40
ponko様
興味深いお話をまたありがとうございます。
少年達が舞台に立つまでにはいろいろな試練や寂しさを乗り越えているんですね。あの「青きドナウ」のトニーのように一生懸命に音楽に向かい合っているんですね。
ponko様のご友人に毎回トーマスのクリスマス・オラトリオを聴きに行かれる方がいらっしゃるんですか?トーマス教会に聴きに行くって事ですか? 凄いですね!団員にお知り合いがいらっしゃるなんて羨ましいです。
ただ聴きに行くって事より その中にお知り合いがいるって時には余計に印象深いコンサートになるんでしょうね。
ek様 絶対にあの少年達忘れないですよ。
ponko310
2018年03月07日 21:16
そう、彼女はベルリンに住んでいるのでトマーナやクロイツのコンサートをよく地元の教会まで聞きに行っています。
意志の弱い私がそれをすると依存症になりそうなのでやりません、へへ。
歌っている合唱団にお友達が出来たらコンサートは100倍も幸せになると思いますが、ウィーン少年合唱団など今は難しそうですね。
こちらの話ですが、団員も観客の中に自分の知っている友人を認めるのは嬉しいことなんですって。
ウィーン少など、昔は演奏旅行が3か月と長かったので、外国に来ている少年たちは優しいファンと親しくなれるのが嬉しかったそうです。
当時の日本の女の子は温かい母性愛にあふれていましたからね。みんな団員を可愛い可愛いって思っていたのかもしれませんが、少年たち自体は大人っぽい紳士をかぶっていたなぁ。
あ、また余計な雑談になってる。
ek
2018年03月15日 07:56
Ponko様
まだトーマスの実際の演奏をお聴きになっていないのですか?そうだったら残念です。確かに来日時のトーマスのプログラムはマタイ受難曲で、バッハ好きな方、トーマス合唱団に興味のある方以外 ちょっと敬遠してしまう長い作品ですよね。でも、素敵なアリアが沢山ありますよ。と言ってもトーマスの場合はソプラノ、アルトのソリストは女性の歌手さんですものね…。トーマナーのボーイソプラノ、アルトのソリストで聴きたいですね。
ponko310
2018年03月15日 19:49
はい、今度トマーナがベルリンに来たら聞きに行ってみるつもりです・・・・とはいいながら・・・。
ek
2018年03月15日 21:31
Ponko様
聞きに行くつもりです…とは言いながら…とは?? この記事に掲載してくださったクロイツとトーマスのCDを見て思い出しました。1970年1月両合唱団でマタイのレコーディングがドレスデンのルカ教会でなされました。総指揮者はドレスデンのマウエルスベルガー先生 合唱指揮者はトーマスのエアハルト先生。
マウエルスベルガーご兄弟による素晴らしいマタイになっています。トーマスカントルとしてマウエルスベルガー先生は素晴らしい指導者だったと思います。
それからのトーマスカントルはロッチュさんは諸事情で退任、次のビラーさんは交通事故の影響で退任とちょっと残念な事になりましたね。現カントルのシュヴァルツさんは静な方ながら楽しい方ですので、今度のトーマスがどんな表現法になっていくのか楽しみなんです。
Ponko様ぜひ生トーマス聴いてくださいね。
ponko310
2018年03月16日 00:28
ekさん
熱心な教会音楽愛好家には貴重な情報だと思います。
私もベルリンで本当にトーマスを聞く機会に恵まれれば聞きに行きますからね。
しかし私は聞くだけで上手に感想文など書けないので記事にはならないと思います。
ek
2018年03月16日 05:49
何をおっしゃるPonko様!
私は演奏会の細かい感想など求めてはおりません。細かい専門的な感想は音楽評論家の方々にお任せして、(とは言いながら私など詳しく知りもしないのに、友達と好き嫌いで感想言い合ってしまうと言う無礼をいたしておりますが(汗)、いつものPonkoさんの合唱団交流記を楽しみにしております。読ませていただいていると自分も一緒にそばにいるような気になりますもの。楽しい時間です。
Ponkoさんのトーマナー交流記を楽しみにしていますからね。もちろんPonkoさんの長年養ってきたその少年合唱を聴く耳の感想もお聞きしたいです。鍛えられた耳がきっと黙ってはいないと期待しています。
トーマナー ベルリンで演奏会やらないかな~。
(あっ!この記事のトーマナーグループは帰国後すぐベルリン遠征だったんですよ)
ponko310
2018年03月16日 17:29
はぁ~、最近は世代の違う若い合唱団員達との交流もそれほど魅力的には感じなくなっていますので・・・・。
それよりみんなが世界中を飛び回っているこの世の中、ekさんこそこちらにいらしてトマーナを一緒に聞きましょうよ。
ek
2018年03月16日 18:39
Ponko様
優しいお誘いありがとうございます。いつかご一緒にいろいろな合唱団の演奏会楽しめたら良いですね。
不幸な事に(私の場合、幸い中の不幸)ライプチヒを訪れた三度ともトーマナーはお休みの時期。トーマス教会では三度とも数人の団員達としか会えませんでした。一度目は教会での元団員の結婚式に聖歌隊として歌っていた団員達、二度目は礼拝式にいらした団員達、三度目はモテット演奏会を聴きに足を運んだ団員達。
団体のトーマナーには日本でしか会えない私です。(笑)
ponko310
2018年03月16日 19:23
それではいよいよライプチヒの教会でトマーナを聞くべきですね。
予定が決まったらご連絡ください。
ご一緒します。
ek
2019年12月03日 22:55
Ponko様
今日は旧友(私より古いウィーン トマーナ ポズナニのファンの方なのですが)に会って楽しくおしゃべりして来ました。
おしゃべりの内容が1975 年と1977年に来日したトマーナの事が中心になって 懐かしさにこのお部屋にお邪魔してしてしまいました。
築地の火事とはまったく関係ないお話ですが。
私達は初来日の頃はまだ親しい間柄ではありませんでしたが、偶然にも同じ地方でのコンサートに足を運んだ人でした。
トーマスの来日時のプログラムの演奏回数の少なかった合唱曲のみとヨハネ受難曲を聞きたいが為の遠征でした。そんな思いも合い重なっていつしか親しくなったのですが、彼女はいつの間にかアメリカンロック歌手のファンになっておりましたが、ウィーン トーマスとポズナニだけは今でも熱く語る人です。そんな会話の中で、77年に来日した時のマタイの演奏が全曲では無かったのではと疑問が湧きました。このお部屋でも話題になりました彼らの来日時に招聘元の問題から、全曲やる予定であったクリスマスオラトリオも前半部分だけの演奏会なりましたが、マタイも数カ所が歌われなった様なのです。これは確実の事ではありませんが、演奏時間が後半の二部が約20分程短くなっていたことに今になって気づきました。全曲歌う体力が合唱団員達になかったのかと今になってまた悲しくなりました。

話は変わりますが、その旧友の友人が(二人はアメリカンロックファンの間柄)今から7年程前に放送されたトーマス教会合唱団の番組(マタイ受難曲)のダビングを旧友宅のDVDデッキのご機嫌が悪くなったためにお願いしたところ、トマーナに興味を持たれて 彼らの歌っている物を聞きたいとおっしゃったとかで、私がお借りしていた物をお返しする事になり今日会うことになったのです。アメリカンロックとマタイ受難曲どこか繫がっているのかしら?
旧友も私達の歳になってから、少年合唱に目覚めた訳でもないでしょうになぜかしら?と不思議がっておりました。バッハの魅力に気づかれたのかもしれませんね。

 マタイ受難曲と言えば、2月にPonkoさんがお暮らしのお国の首相メルケルさんが天皇陛下(今の上皇陛下)にお会いした時にバッハのマタイ受難曲のファクシミリスコアを贈られたとニュースになっておりましたが、やはりバッハはドイツの宝なのですね。
私も昔 写真ではバッハの自筆譜を見たことがありましたが、それは美しいものでした。 

Ponkoさん聞いてください!(読んでるわよって)
私が在籍していた合唱団が予定しているドイツ旅行での演奏がこともあろうにトーマス教会では、バッハの作品ではなくブルックナーのミサ曲の予定なんだそうです。なぜにライプツィヒでブルックナーのミサ曲なんだ〜って叫んじゃいました。ブルックナーのミサ曲はホーフブルク礼拝堂で歌って〜。いや、駄目!ホーフブルクでのブルックナーは美しいままでなくては…。

なんだか私のコメントの話題ごちゃまぜの支離滅裂でごめんなさい。 何を言いたかったのか…。
77年のトーマスのマタイの演奏会も全曲演奏ではなかったかもと言う「かも」のお話がメインです。ごめんなさい。
ponko310
2019年12月03日 23:26
ekさん
お友達とのおしゃべりで楽しく過ごされたようですね。
私にもその時間を分けて下さってありがとう。
トマーナもバッハもブルックナーも身近ではありませんから、自分はおしゃべりに加われませんが、これを読んでファンの方が仲間に入ってくれるかもしれません。
私はそういうお喋りを聞けるのが楽しいです。
12月になってドイツではAdvendが始まりました。
第一日曜は我が町のクリスマス市に行き、そのあとドイツ料理を食べ、ルンルン気分で帰路に就いたところ、石畳に足を取られて転倒し(年寄りは転んだか最後です)足首と右手をひどく捻挫しました。
医者に行って痛み止めと湿布薬をもらって来ましたが、右手の3本の指が紫色に腫れています。
17日にキエフの少年合唱団がベルリンに来て会う約束をしていますが、それまでに治るかどうか。
ekさん、とりあえずこれがこちらの近況です。























ryo
2019年12月04日 00:06
ponko様
お怪我は大丈夫ですか?冬は気を付けてくださいね?私は、冬の寒さと路面が凍るので、クリスマスにはもう行けないかなと思っていますが、行けたらどんなにうれしいことか。歩くときは、耐寒訓練のようですものね?でも、クリスマスはヨーロッパのものだとつくづく思います。
トーマナコアもドレスデン聖十字架少年合唱団も日本公演で聴きましたよ。ライプツィヒやドレスデンで、ミサを体験できなかったのが本当に残念。ドイツの少年合唱団って数が多いのに、どこもレベルが高くて素晴らしいですよね?日本に来たら、また聴きに行きたいと思います。
ponko310
2019年12月04日 00:55
ryoさん
はい、大丈夫ですよ。
痛いのは生きている証拠だと言われました。
指はちゃんと生きていました。
冬は運が悪いと道が凍りますね。
でもこちらは管理が良いので、クリスマス市などちゃんと滑らないようにしてくれています。
と言うよりも暖冬なのでベルリンなどホワイトクリスマスは滅多にありません。
私は寒がりなので聖歌隊のミサは大抵はテレビ放送を見るだけで済ませてしまっています、てへへ。
ek
2019年12月04日 01:14
転んだ!?捻挫した?!
何やっているんですか?寝たきりになったらどうするんですか?って怒鳴っている私も今年の夏 家族で外食した帰りにつまずき 翌日から歩けなくなりました。その前年はベッドから落ちて手を捻挫。
その前年はバス停で他のかたと接触して、転び足首にひびが入り寝込み、ギプス使用の生活と言う失態をおかしておりますので、人様に偉そうに言える立場ではありません。でも、ある程度の年齢になると転ぶのが一番危険なのですよね。お互いに気をつけましょう。
キエフの方々にご心配をかけないように。
くれぐれもお大事に。あまり動き回らず、静かなアドヴェントをお過ごしください。

ponko310
2019年12月04日 08:51
ekさん
ぎゃはは、ベットから落ちたなんて私よりドジじゃないですか。
さぁて、これであなたの寝相が如何に悪いか分かりましたぞ。
私が転んだのは、 丁度電灯の明かりが暗くなった場所で、石畳が落ち込んでいたところでした。
靴底が滑ってぐキッと足首が内側に曲がって、その痛みで身体が前にのめってしまい、それを支えようとした指が外側に
押されました。
ジーンズを履いていたのに、膝小僧がすりむけましたよ。
年取って骨を守る脂肪が薄くなっているのでしょうね。
簡単に腫れてひどい痣になりました。
よく年寄りが自転車とぶつかって重傷とかニュースで見ますが、今回は転ぶことによってそれを自分で体験しました。
あ、ポズナ二でお婆さんが転んでそのまま起き上がらないで、倒れたまま辺りを見回していた光景を思い出しました。
ヴォイテクが助けに行くまでうつ伏せになっていましたが、今回こんなにひどく転ばなかったら、それらの事を理解せずに終わってしまったかも知れません。
起き上がらなかったのではなく、起き上がれなかったのですね。
若き日には想像もしていなかった体験をさせてもらいました。
joku
2019年12月15日 23:19
Ponkoさん
来年3月にトマーナとゲヴァントハウスでマタイのアジア旅行が予定されていたのですが、いつの間にかなくなってしまいました。その代りにPonkoさんテリトリーで3月21日にハイドンの天地創造がありますよ。
http://www.musikadler.de/konzerte-karten/termine.html
以前のコメントにベルリンに来たなら聴きに行くような事が書いてありましたので、ちょっとちょっかいを。
ponko310
2019年12月18日 20:39
jokuさん
この情報をあなたから受け取って、ようやくリンクを開ける事が出来る時間がやって来ました。
この時期は何やら忙しくてPCを付けられない日もあります。
リンクを開けたらなんと、古ハーモニー、じゃない、フィルハーモニーでのコンサート。
実は今マルシーク指揮の「天地創造」を聞きながら(DVDですが)これを書いています。
マックスの歌声が凄いインパクトです。
マックスはいないけれど、jokuさんのちょっかいを嬉しく受け入れてトマーナのハイドンは行くつもりです。
私が住んでいる地球の初期がどんな音で出来上がったか聞かねば。
joku
2019年12月19日 00:08
昨年もお知らせしたかもしれませんが(歳のせいで記憶になくて)、今年もArteで昨年のトマーナのクリスマス・オラトリオを観ることができます。期限が3月13日までと長いので焦って観る必要がなく、他の事をしながら聴くのもできますね。
https://www.arte.tv/de/videos/086703-000-A/bach-weihnachtsoratorium/
日本からArteが観られるか不明ですが、NHK BSプレミアムで12月23日(月)午前0時20分~に放送があります。

Ponkoさんに天地創造を薦めておきながら、私は聖金にマタイを聴きに行きます。お約束のベルリン乗り換えだけの素通りで…
ponko310
2019年12月19日 06:35
jokuさん
え?
そんな情報を頂きましたっけ?
もしそうならこのリンクは全然開いていませんでした。
今日はもう遅いので明日、早速聞きますね。
ハイドンの天地創造は3度も続けて聞きましたが、やはりワルツが好きな私には重いのです。
トマーナのファン友がいるので彼女と行けるようなら行くことにしましょうっと。
それよりも教えていただいたリンクで聞きなれたクリスマス・オラトリオを有り難く聞いておきますね。
明後日ベルリンが急に明るくなったらjokuさんが乗り換えの為に列車から下りたったと判るでしょう。
joku
2019年12月20日 00:32
Ponkoさん
歯医者は如何でしたか?
今度の聖金は4月10日ですよ。明日急に明るくなっても何も起きませんのでご安心を
ponko310
2019年12月20日 02:50
jokuさん
やっぱり歯医者さんは痛かったです。
来年の6月にまたやられに行きますわ。
あはは、聖金なんていう日本語を知らなくて明日の金曜日のことかと思いました。
Kafreitagの事ですね。
2010年4月10日ってカレンダーに書いてありました。
じゃその日に明るくなったらjokuさんがベルリンに足を踏み入れたと判るって事ですね。
楽しみだわ。
でも明日明るくなったら誰が来るんだろう。