172 息子たちとの里帰り 1989年

前の記事にも書いた通り、保管しておいた写真も動画も音楽もPCからすっかり消えてしまったので、クロアチアの旅もアメリカの旅も、オールドの話も写真なしでは面白くないので書くのを諦めました。
そこで今日は編集し残してあるのを書き終えます。

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私が9年振りに子供達と帰国(わたしゃまだ日本人のままです)したのは1989年の夏で、まだベルリンの壁の開く3カ月前でした。
そのころ、いったい誰が壁が崩壊するなんて思っていたでしょうね。
東ドイツの小さくて野暮ったいシェ-ネフェルト空港までは専用バスが西ベルリンの国境近くから出ていました。
今はそこがベルリンの国際空港になる予定ですが、何だかの手落ち続きの工事が進まなくて、もう3年近くまだ開港になっていません。
ウィーンの地下鉄工事も長かったけれど、ドイツも変わらないわ。
1989年にはその野暮ったい空港では銃を持った東のかっこいい警備隊がうようよしていました。

画像空港で飲もうと思って家の近くのスーパーで買ったコカコーラの缶を3つ持って行きましたが、別に喉も乾かなかったのでそのまま機内に持ち込みました。

今はテロ防止で手荷物の中には液体のものを一切持ち込んではいけないんですね。
そんな事はもう常識になっていますが、8年前(2009年)に帰国した時はそれを知らないで、せっかく買って持ち込んだ美味しそうなジュースを取られました。
ジュースまで取り上げるなんて、まったくこの短期間のうちに何たる世界情勢の悪化してしまった事なのかと、その時はもうびっくりしたものです。

1989年代のロシア制の機内は私たち以外の乗客は東独の人達ばかりで、持っていたのはエコノミーの切符だったのに、私達だけが特別扱いでビジネスクラスに案内されたのにはびっくりしました。
東ドイツ時代はそういうことは往々にしてあったのですからね。
そういえば東ドイツの地方の友人たちと東ベルリンの国際ホテルでお茶をしようと思ったら、ホテルのドアマンから後に続いた友人たちが入るのを断られたのです。
彼らの着ているもので判断されたのでしょうが、西ベルリンの私たちは腹が立ってその立派なホテルから出ました。
それに東のレストランで行列が出来ていたとき、列の後ろに並んだ私たちにウェイターから声が掛かって優先されたこともありました。
普通人の我々には実に気分が滅入る出来事でしたっけ。
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子供達の為に飛行機の中でコーラの缶を一つ開けたら、近くに座っていた長男と同い年ぐらいの少年がそのアメリカのコーラを羨ましそうに見ていたんですよ。
それでもう一つ袋から出してその子の手に持たせたら、途端にその親がさっと取りあげて、そそくさと自分のバックに入れてしまいました。
コーラが子供にダメと言うのじゃなくて、当時は滅多に手に入らない西のコーラなのできっとその親自身も飲みたかったんでしょうね。
エコノミーじゃなくて、ビジネスクラスに座っていた家族なんですから、西のものが如何に憧れだったのか考えると口がふさがりません。

でも感じが良い夫婦なので聞くと、バイカル湖への家族旅行で、飛行機に乗るのは生まれて初めてだと嬉しそうに話してくれました。
この旅行にはもう3年も前から出国許可の申請をしていたと聞いて、そりゃぁ~、もう3年というとんでもない年数におったまげて最後に残ったもう一つのコーラの缶をあげてしまったくらいです。

食事の時間になって、みんなのテーブルに機内食が出たのですが、彼らにとっては生まれて初めての機内食だったんですね。
パパがめずらしそうに一つ一つ丁寧に調べていましたが、突然小さな黄色いパックの中身をコーヒーにジュルジュルと入れ出しました。
私にはその中身がすでにマスタードだと判っていたのですが、初めてそれを見る彼はどうやらコーヒーミルクと間違えたらしい・・・・・。
東ドイツではコーヒーは贅沢品のうちだったので、からしの入ったその人のコーヒーを見た時にはもう気の毒と言うか可笑しいと言うか・・・・。
グ、グ、グと喉から声が出てしまいましたが、大声で笑うにも笑えなくて本当に困りましたよ。
今だったら躊躇なく大声で笑い出して、その代わり私のコーヒーをあげたでしょうね。

まだ9歳だった次男は運ばれて来た機内食を一口食べただけでよっぽど不味く感じたのか、機内食が運ばれるたびにうなだれながら首を横に振るだけで何も口にしませんでした。

1980年にモスクワでオリンピックが開かれたせいか、野暮ったかったシェレメチェヴォ空港国際空が一気にモダン化されていたのには驚きでした。
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ベルリンでも珍しかったお寿司屋さんまでそんなところにあって、本当にびっくりの連続でしたがそこで食べるアイデアが無かったのも不思議です。
もちろん今は他のルートでも日本行きの安いのがあるので、当時の印象の悪かったアエロフロートなんか使いたくない~。

さて、日本に到着した時、涼しいドイツから来た子供たちは、日本の夏がこんなに蒸し暑くて息苦しいことを知らなくて、飛行機から空港に入ったとたんにびっくりして叫びました。
「ママ、此処はもの凄い暖房が入っているよ 」、ですって。

母や友人たちが空港に迎えに来てくれていたのがとても嬉しかったです。
すでに記事の116にも書きましたが、あのスペイン語の出来るファンの友人(これは72年組の記事を読まれた方には分かっているはず)も二人の娘さんを連れて来てくれていました。
まぁ、年少の次男や友人の次女はさておき、思春期に入る二人の綺麗な少年少女は双方とも一目でお互いに好感を持ったみたいでした。
それにしても母親の私等のこの時期はウィーン少年合唱団の熱心なファン時代の事なんかもう、全く念頭にありませんでしたからね。
と、言いながら来日していたウィーンの森少年合唱団をみんなでそろって横浜博覧会の見物がてら聞きに行っています。

息子たちはドイツにはいない蝉の声を聞いたのも初めてで、驚いた表情で 「ママ、あちこちでサイレンが鳴ってるよ」 には流石に大笑いでした。
あ~、ホームシックには掛からないけれど、セミの声が懐かしい。

日本恒例の夏の台風か来て、家の前が大水になった時は、二人とも早速裸足になると大はしゃぎでバシャバシャそこら中をはね回っていましたよ。

もう一つあるんだぁ~。

息子達と横浜に買い物に行った帰りの時の事です。
電車は結構混んでいたのに席がちゃんと取れ、買い物で疲れていたので3人ともぐったりと座り込んでいました。
ところが次の駅で乗り込んで来たお客の中に、赤ちゃんを抱いて小さな女の子を連れた主婦がいたのです。
長男はそれを見ると、その女性に席を譲る為にすぐに立ち上がりました。
周りの人達は知らん顔で座っています。
・・・昔の日本はそうじゃなかったなァ。
長男としては赤ちゃんを抱いた女性に席を譲った積りだったのですが、彼女はお礼を言うと、自分では座らないで自分の子供に座らせました。
それを見た長男はびっくりして「僕は赤ちゃんを抱いた婦人に席を譲ったんだよ。」と澄んだかん高い声をあげました。
長男としてはその4歳ぐらいの女の子は座った母親の膝の前で立っているのが当然だと信じていたんでしょうね。
経験の少ない純真な子どもには時として複雑な大人のやることは理解しがたいのだと思います。
それに外国に至っては国民観念の違いもありますしね。

もうすっかり忘れていた事なのに変声前の長男のその鈴のような声を聞いてふと同じ声が胸に蘇った記憶があります。
それはルカが私のためにサインを集めてくれた時のあの失望の叫びにそっくりでしたっけ。

その遠い思い出がさっと心を通り過ぎましたが、ふと見ると、今度は9歳の次男が立ちあがってその女性に席を譲っていました。
周りの人達は知らん顔です・・・・いや、そんな私も動じずにずっと座りっぱなしで息子達の態度を監視していただけなんですけれどね。
でも、何だかこんなところで紳士的な態度の少年達を見て、また他人事みたいにかっこいいなァ~なんて思っていましたよ。

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あ、電車の中の事でもう一つ思い出した。
長野の温泉でほとんど乗客のいないガラガラの電車に乗っていたときの事でした。
子供たちがドイツから持ってきたビスケットの袋を開けていると、目の前の席の小さな坊やが興味深そうに見ていたので長男が何枚か分けました。
その子は体に合わない大きなガラガラ声でちゃんとしたお礼を言うのでなんとも可愛かった。
ついでにその横の新聞を読んでいた若い男性にもあげていましたが、彼は頭を下げただけで何も言わずに受け取りました。
私にもくれたので食べてみると、日本の湿気で柔らかくなっていてもうちっとも美味しくなんかなかったのです。
ビスケットをもらった男の子は大きなガラガラ声で「うまくねぇ~」と言いながらもみんな食べました。
新聞を読んでいる青年はその大きく広げた新聞のせいでどんな様子なのかわかりません。
その男の子は、長男がその美味しくもないビスケットを食べているのを見て不思議そうに隣の青年の新聞の陰に隠れている顔を下から覗き込みました。
そしてさらに大きなガラガラ声で
あ~、食ってらぁ~」と叫びました。
私はその声と言葉がおかしくて今でも思い出すと笑ってしまう。

でも、この頃までの息子達が一番「私だけ」のものを感じさせてくれたのでした。
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当時のルカに愛しさを覚えるのはきっと、母親になって同じような年の息子たちに共通するものが沢山あったからなのだと思います。
思春期に入りだすと良しも悪しきも自分の友人たちの世界のほうが大切になって来るものです。
これは子供が将来の社会性をはぐくんで行く段階でどんな親でも通らなくてはならない門なんですよね~。
もっともマザコンに育てなかったので全然寂しくはないのですが、この頃に戻って、もっともっといっぱいハグをしてあげたい気持ちはあります。
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今の息子達にも会うたびにハグやキスはしていますが、幼い頃みたいにクシャクシャには出来ないくらいしっかりとオジンになってしまっていますからね。
今思えばルカにだってハグしてあげられたんですねぇ。
あ、今思えばの事で、あの当時の日本ではウィーン少年合唱団員にハグなど、決して考えも及ばない時代でした。
あ、今だって変わらないか、あはははは。



私のブログを読んでから、本当にタイムマシンがあったらいいなって思い出したオールドの方、きっと想像以上に沢山いられると思います。
私の今の心境と思い出と言葉の能力がそのままで、タイムマシンに乗って行きたいな。
ときめきの1964年に戻りたい。
そこから再び始まったらどんなに素敵かしら。
私はキリアン君にもうヘスリヒなんて決して言わないから


2017年11月19日
ちなみに今日はVoice of Germany のvoice of germany battles 2017でお気に入りのべネディクトが勝ちました。
16歳のベネディクト ケストラー君。 Benedikt Köstler
前の記事ではお見せできませんでしたが今回は彼の初舞台がYouTubeに載りましたよ。


2017年11月25日
今日こんな記事を見つけました。
  
「電車の中、母親はなぜ座らないのか」
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20171124/k10011234671000.html?utm_int=news_contents_news-closeup_003&nnw_opt=news-closeup_a

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この記事へのコメント

ek
2017年11月18日 02:27
Ponko様
寝ぼけ眼で、更新された待ち遠しかった記事を読ませていただくうちに、何とも言い難い温かい思いが胸を打ち、今まで眠っていた頭が遠い記憶をガイドブックにして タイムマシンに乗せてくれたようでした。
記憶のガイドブック中の私の思い出が、この新しくお話くださった古い出来事に沢山重なって来ました。
Ponkoさん!素敵なご子息をお持ちなんですね!
なんて素敵にお育てになったのでしょう! (今のご子息の事が書かれてある記事でも、常にそう感じておりましたが)
感性も人への気遣いも…今 日本の子どもたちに、いえ大人にさえかけてきている何かが胸を打ちました。
今回の記事の中に沢山の記憶のガイドブックのインデックスになっている文言がありました。
タイムマシンに乗せてくださってありがとうございました。
Ponkoさん またお里帰りなさいませんか?横浜の波止場ではなく 成田の飛行場にでも出迎えに参じます。
ponko310
2017年11月18日 03:43
ekさん
寝ぼけ眼なんて、夜更かしは健康にいけませんね~~~。
私ももっと遅く更新すればいいのですが、そうすると私のほうが夜更かしになってしまいます。
ekさんも1964年まで戻りたいほうでしょう。
そうしたらヴォルフィーさんともっとちゃんとおしゃべりできますね。
もちろん私はミュルナー君とスメタナ君にアタックしてペンフレンドになります。
でも今のおでこの広いスメタナ君を見ちゃったからなぁ~。
M キリアン君には大回りして近づかない。
そしてルカにはもっとお姉さんぶってかわいい弟分にすることにします。
あ~、楽しい。
タイムマシンって幸せにしてくれますね。
ek
2017年11月18日 08:30
Ponkoさんのおっしゃる通りです。
タイムマシンで1964年に戻れたら、私のWSK熱は今以上のものになっている事でしょう。
Wolfiさんにもっといろいろお話聞かせていただきたかった、なんで聞いてみなかったんだろうって今の私 沢山悔やんでいます。
もちろん、今も彼から頂いた一通一通の手紙はタイムマシンのようにその時に戻してくれます。
その年月をもう一度体験出来たら…。
あの横浜演奏会場のとある所で鉢合わせしたレオポルド君やスメタナ君に微笑むだけじゃなくて 積極的にアタックすれば良かったかな~。
あの時の私はただ一人の天使にハートを射抜かれてしまっていましたから やっぱりアタックは無理ですね。
なんだか 今回のPonkoさんの記事で時の流れをしみじみ感じさせていただけました。
ありがとうございます。
ponko310
2017年11月18日 20:33
ekさん
おっと、ここで64年組の話を始めるとまた本題から外れてしまいそうなので口を閉じます。
今日は次男がPCの修理に来てくれるので見れなくなっていた動画や写真がまた戻って来ます。
明後日は結婚記念日なので恒例の小旅行に出かけますが行先はこのブログの一番初めに行った宮殿ホテルなのであえて記事を書くこともないでしょう。
それにしてもあの横浜の会場でレオポルド君とスメタナ君に会ったなんて、羨ましい。
maa
2017年11月19日 11:28
ハードディスクの情報はすぐに戻ってくるんですね。身近にエンジニアがいてよかったね。心強い! 可愛いかった坊やも、今はたくましい青年なのでしょうね。

日本は子どもを座らせる人が多いように思われます。・・・でも、ずっと前のことですが、カブスカウトの子どもたちが十数人電車に乗ってきました。座ろうとする子どもたちにリーダーの大人がこう言いました。「お前たちなあ、電車賃は大人の半分しか払ってないだろう。席は半分しか座れないんだぞ。二人で一つだ!」子どもたちは、え~っと苦笑しながら、結局座りませんでしたね。笑

89年は4月に転職した年でたくさんの記憶があります。最寄り駅にプレイガイドがあってウィーン少のポスターが貼ってありました。会社の帰り道に何度そのポスターを見たことでしょう。でもすっかり来日コアに興味がなくなっていた私は、「あっ、来てるんだ」と思ったきり。あの華麗な89年組を聞き逃したのです。あの時ちょっと好奇心でもいいから、聴いてみようかなと思っていたら、ファン魂が復活していたかもしれない。いや、「もしもあの時」はないんですね。

人はタイムトラベルに憧れます。昔の合唱団に会いたいから・・・ということだけでなく、「もしもあの時」をやりなおしたいのね。

ponkoさんがまたいつか里帰りするときには、成田に集合してオールドファン同窓会をやりましょう。タイムマシーンよりは現実的で、思い出の箱のふたを全開できるかもしれません。
YUKARI
2017年11月19日 19:47
「ママ、ここは暖房が入っているよ」
「あちらこちらでサイレンが鳴っているよ」
って、カワイイ息子さんで頬がゆるみました♪
私の弟も小さい頃カワイくて、もう30歳になっていますがやっぱりカワイイと思っています☆
出来れば、オジンにならずにいつまでもカワイイ◯◯◯くんでいて欲しい!
なんて言ったら、間違いなくキモチ悪いと言われますが↓
それから子供さんにあげたコ‐ラなのに、親が取るってイヤだな~って思いましたが↓
ponkoさんは優しいなぁと思いました☆
(ponkoさん、気をつけて旅行に行ってきてくだいね。)
ponko310
2017年11月19日 20:01
maaさん
カブスカウトがボーイスカウトになる前の子供たちの事だってネットで調べてわかりました。
日本にいたときから、ボーイスカウトなんて自分には遠い存在だと思っていましたけれど、冒険ばかりでなく子供達に社会性を養う素敵なグループなんですね。
ヴィキを読んだらこりゃ~かっこいいと思いましたよ。
こんな子たちはざらにニュースで読む呆れる事件など起こさないような大人になるんだろうなぁ。
タイムマシンがあったら、私もボーイスカウトに入りに行くわさ。
ほんと、「もしもあのとき」って想像してしょっちゅう楽しんでいるの。
十分にしてきた後悔はもう御免だから、楽しい方向へ持っていくわ。
89年ってあの伝説のソリストのチェンチッチが来日組にはいっていたんですってね。
春にはウィーン少年合唱団、夏にはウィーンの森少年合唱団、秋にはドレスデン十字架合唱団が来ていた年だったんだわ。
そのドレスデンの4人の団員が西ドイツの大使館に亡命したってことをあとで知ってどんなに驚いた事か。
そしてその年は壁が開いた。
いろんなことがあった年だったのね。

私は多分もう里帰りはしないと思うの。
だからオールドファンたちとはウィーンでワイワイしたいな。
その時は元団員達も一緒にね。
だって日本じゃそれは無理みたいだから。
今から計画しない?

ponko310
2017年11月19日 20:25
YUKARIさん
30歳になってもかわいい弟さんがいて幸せよね。
私は息子たちが思春期になったころはもう小憎らしいだけで可愛くなかったな。
あれは自分が成長していなかったからだと反省しています。
今はどんなオジンでもどこか可愛らしさを見つけられますよ。
特にルカなんてオーストリアの愚痴を書かれても可愛い・・・・あ、これは完璧にひいき目。
飛行機の中での体験は、子供にあげたコーラを親が取ってしまうぐらい、西のコーラは切望されていたのね。
今、なぜマスタードの入ったコーヒーと私のコーヒーを交換してあげなかったのか、タイムマシーンで戻りたいくらいです、ウヒヒ~。
maa
2017年11月19日 21:51
そうそう、カブスカウトはボーイスカウトの年少さんたちです。友達が息子をカブに入れていて、自分はお世話係りのデン・ダットをやっていました。父親はデン・ダットと呼び名です。今は男女関係なくデン・リーダーというらしい。←これは調べたよ。
私は海洋少年団に憧れていました。隣のクラスの子が入っていたの。グレーのカッコいい制服にスカーフをしていました。

ドレスデンの団員が亡命した・・・そんなこともありましたね。壁が崩壊するなんて想像もしていなかったわ。91年の夏にフランスの大学のサマースクールに参加したの。朝クラスに行くと同級のドイツ人学生が新聞を読みながら、「君はゴルビーを知っているか」と訊いてきた。実はゴルバチョフが監禁された事件が起こった日でした。その学生たちはゴルバチョフを指示していたの。日本人は他に数人いたけれど、ヨーロッパの事件は他人事でした。政治に関心が薄かったしね。ドイツの学生たちは本当に真剣だった・・・・・そんな記憶があります。西の子だったよ。アンドレアス、凄くカッコよかったなあ。

ponkoさんはもう日本にはもどらないか・・・・・
それではウィーンで何かできるといいね。今はここまで。笑

明日は結婚記念日ですか? おめでとう。いつまでも仲良くね。
ponko310
2017年11月19日 23:42
maaさん
海洋少年団もかっこよさそうだなぁ。
なんだか少年雑誌の漫画みたい。
へ~、91年にサマースクールでフランスに行ったのね。
そうか、その時に美味しいタルトフランベに知り合ったんだ。
そう、ドイツ人は仕事に関係なく政治に興味のある人が多いわ。
ゴルバチョフは壁の崩壊にい大いに貢献してくれた人なので、壁の開いた時、たまたまゴルバチョフっていう銘柄のウォッカの宣伝のしてあるバスが通ったとき、東のみんながゴルビーと叫んで大きなシュプレヒコールになったことを思い出した。
プーティンじゃなくてあの人がロシアの首相だったらよかったのになぁ。
そう、もう私の故郷はベルリンなの。
あの日本の厳しい夏からの猛暑避難民になったのじゃ。
でもまだしっかりと日本人のままなのよ。
2年後には旅券の書き換えよ。
また金がかかるのじゃ。
でもカナダ人になったココみたいに、私もルカもきっぱりと国籍を変える勇気がないんだなぁ。
明日の結婚記念日にそれにかこつけて思い切り美味しいものを食べてくるの。
と言っても、そちらの日本料理には比べられないんだけれどね。
ホームシックにはかからないけれど食い物シックにはかかっています。
2017年11月23日 22:38
コーヒーにからしがインパクト大ですね。私もその場にいたら笑いをこらえるのに必死になりそうです。

電車での席を譲る譲らないは、最近だとSNSで色々論争されたりしています。せっかく譲ったのに、私はそんなに年を取っていないと、お年寄りを怒らせてしまったとか、妊婦なのに席を譲ってもらえなかったという人に、病気じゃないんだから甘えるなという人も・・・。

伯母さまのご子息の善意のお話とそっくりなお話が、昔四コマ漫画のサザエさんに載っていて、マスオさんだったか波平さんだったか、席を譲った人が、過保護だなあ~(親の方に譲ったつもりだったのに)というオチでした。

善意は時に、ストレートに相手に届かないこともありますが、そういった経験の積み重ねで気遣いというものをうまくできるようになっていくのかもしれません。

最近小学生のころ読んでいたサッカー漫画を読んだら、「俺はプロになるため、西ドイツに留学する」というセリフがあり、当時はベルリンの壁がまだ崩壊してなかったんだと時間の流れを感じました。そういうセリフがあったのに、その漫画は30年後の今もまだ連載されていて、主人公たちはまだ20代のままで時が止まっています。
西ドイツ時代に小学生だったのに(笑)
ponko310
2017年11月24日 19:34
ねぎちゃん
次男からもらったタブレットを片手に、昨日二泊三日の小旅行から戻ってきました。
ネットが繋がらない場所だったので、タブレットはもっぱらゲーム用。
その口実はなんでもいいから練習しておきなさいと言われたのでね。
そうね、人の好意を善意として素直に受け取れない運の悪い人はたくさんいますよね。
でも好意も自分の優越感を味わいたいためにしてしまう人もいますから、そこは受け取り方かな。
好意もおせっかいになってしまうかも知れない。
経済が裕福になって来ると善意の価値が変わってくる事もありますからね。
私は席を譲るときは、何も言わないであたかも次の駅で降りるかのように立ってドアの前に行きます。
その人が座りたかったら座ればいいし、第一私自身が席を譲ってもらってもいい年になっていますからね、あはは。

その漫画が描かれた時代はベルリンの壁が崩壊するなんて考えられなかったはず。
30年も連載されているのに主人公がまだ20代のままなんて本当に漫画よね、きゃはは。
自慢じゃないけれど私のルカだってまだ13歳のままよ。
違うのは主人公が迷惑がってる。
ek
2017年11月26日 05:56
Ponkoさん
お帰りなさい!旅行はいかがでしたか?思い出私達にもお裾分け頂けませんか?そんな旅行のお相手のいない私は、遠い昔の思い出を振り返っていることにします。
89年にはいろいろな思い出がありますね。あのクロイツの青年達のニュースは本当にショックでした。その数カ月後に壁の崩壊。今は彼等が故郷の地でご家族と自由の喜びを分かち合えている事を願うばかりです。
もしあの年 憧れの天使がヴィエネンシスの一員に加わって再来日出来ていたら…。もしあの時…ってまたタイムマシンに乗ってしまいました。
あの1964年の演奏会で天使の歌声に魅了され、優しい視線で私の胸に矢を射抜いた天使にぼ~っとなっている私を係員さんは笑って「良かったね」と。帰り間際 洗面所に立ち寄ろうと思っていたら、その係員さん「会場は混でるよ」と、そっと関係者控えの扉を開けてくださいました。その時 向かい側から憧れの紺のセーラー服姿が現れました。目の前には笑顔のスメタナ君やレオポルド君達数人の団員!彼等もこんな所にファンが?!って驚いた様でしたが、ただ凄い出来事にぼう然と立ち竦んで、一言も発せずにいる私達に優しく微笑み、会釈しながら足早に去って行きました。一人の団員が(彼が誰であったか判らず)振り返りながら笑顔で手を振って去って行った姿が幻のように脳裏に焼き付いています。残念ながら、その彼は我が憧れの天使その人ではありませんが、素晴らしい歌声と、天使の矢の持ち主とあの数人の団員達の優しい笑顔が私をWSK64の虜にしてしまいました。彼等が去って行った後の私達の興奮の度合い、お分かり頂けると思います。親切な係員さんに「今のウィーン少年合唱団員ですよね?」って尋ねてしまった位です。他に誰がセーラー服で男子の洗面所にいるって言うの?(もしかしたらファンのJK達だったんじゃない?って思われましたか?(笑)
ponko310
2017年11月26日 08:26
ekさん
ぎゃぁ~~~。
フォアルナーさんばかりじゃなくてほかにも隠れていた思い出が!!!
その、とある場所って洗面所。
洗面所って、つまりおトイレの事よね。
わっ、わっ。トイレから出てきた64年組に会っちゃたのね。
なんか現実的ですごい!
私も高輪のバスの中から微笑んでくれた団員が誰だかわからないけれど、彼らの微笑みは当時の私たちにはキュン死しちゃうぐらい強烈だったのよね。
あ~~~~、思春期の少女たちってみんなジュリエットなんだわ~。
あっ、ekさんのコメントを読んでまたすっかりミーハーになってしまいました。
でも、64年組はオールドをミーハーに戻しちゃうのよね。
今日はもう、あの当時の興奮を思い出して眠れそうにないんだわ。
私には72年組が一番深い印象に残っているというのに、こんなお話を聞くとあの頃のドキドキが蘇って来るの。
やっぱり年が近かったし、可愛いっていうよりも異性の感じが強かったからかな。
懐かしいなぁ~。
bububa
2017年11月26日 14:03

とっても楽しく読ませて頂きました
ちょっと感動しましたよぅ
これからも楽しみに読みますよぅ
楽しかった
ありがとうございます。
ponko310
2017年11月26日 17:54
bububaさん
簡素だけれど素敵な言葉を掛けてくれてありがとう。
ただありがとうって言ってもらえるだけでも嬉しいわ。
忙しいお仕事の合間の気分転換になりましたように。
また楽しい記事を書きますね。
はっぴー
2017年11月29日 16:59
今回も楽しく読ませてもらいました。
日本の夏、確かに物凄い暖房だわ!それも天然の(笑)
北海道より緯度の高いドイツから来たんだものね。
同じ夏でも凄い差だったでしょう。
WSKの元団員も含めてウィーンでワイワイ、いいなぁ~
やってみたいわ♪でもお金貯めないと!(^^;
ponko310
2017年11月29日 19:20
はっぴーさん
7年前の9月に日本に帰った時はドイツから持ってきたブラウスは着れなくて母のTシャツをもらって着てたの。
夜があんまり蒸し暑くて眠れなかった。
ウィーンでワイワイするって言っても私は贅沢じゃないからみんなとどこかのアパートメントを借りてみんなにお酒や材料費を出してもらって私が料理をしてホームパーティーをする。
わっ、調べたら今、素敵な『庭付き』で洗面所付の寝室が3部屋もあるこじんまりしたアパートメントを見つけちゃった。
それも名前が「ウィーンの森」っていうアパートメント。
ゲッ、ウィーン郊外だった。
バス停まで150m。
でもパーティーをするには最適なところだわ。
目下、一晩120ユーローですって。
一週間は泊まりたいね。
すると3人集まるとすると一人280ユーロ。
他にも屋根裏に一泊50ユーロで可愛い一人部屋が二つ借りられる。
ということは私を抜かして4人ね。
日本からだと安い飛行機なら7万ぐらいで往復できるし。ま、何はともあれ素敵なウィーンでの安くて楽しい休暇は見学や食事も含めて20万円ぐらいで不可能じゃないよね。
ハーイ、参加したい人は手をあげて。
来年の6月にみんなで会おうよ、きゃははは。