178 ゲッティンゲン少年合唱団の日本紀行 2

2018年 日本にて 5~7日目(3月19~21日) 更新です

5日目: 3月19日 土曜 

広島は1945年8月6日の歴史に残る原爆投下を感動的なそして悲惨的な洞察に導いています。
それだけに私たちは平和公園の近くで「ドナノビスパーチェム」と題した平和のコンサートをより心からの願いとしていました。


羨みがあまり湧かないように

小さな朝食ルームでは、先と後の二つの組に分かれて食事を取ります。 30分後には組の交換があるので、此処での時間厳守がいかに大切なことか、もう一度体験することになります。でも素直に良く言う事を聞く(ブラックユーモアの好きなドイツ人はよく反対の意味の言葉を用います)少年達にはちょっと厳しいことかな。なぜならトースターが順調よく作動してくれないのですから(ここでも時間のかかるトースターが出来高払いに働かないと表現されています)。でも時間はジャムでトーストを塗りつぶすためにあるのではないからそんなに悪いことではありません。そんな時間はないのです。だからバターパンだって悪いもんじゃないと・・・。

広島市長による応対
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時間不足の為に、代表団の市庁舎でのレセプションの合唱のリハーサルはホテルの玄関で行われます。その後、私たちは徳島での公式のレセプションに出席をしていなかった団員たちと出発です。(団員の人数が多かったので徳島でも二手に分かれたのだと思います。)
続いては(徳島での時と同じように)わが国では映画の中でしか知らない、お話の本に出てくるような儀式があるのです。
団員たちは部屋の右側にある長々とした肘掛椅子に座らされます。他の参加者は部屋の左側に誘導されています。そこにいる彼らは名前を呼ばれて席に案内されます。それらの肘掛椅子はU字型に並べられ、離れて置かれています。正面には二つの肘掛椅子。その一つには我々のヘルベルト・シュアが座っていますが隣は空いています。沈黙。時々役員が静かに事を運びます。沈黙。カメラマン。緊張の待ち時間。視線をドアに向ける。何も無し。贈呈品の乗ったトレイを持つ女性。再び沈黙。・・・その時大都市の市長の出現です!彼はヘルベルト・シュアの隣に席を取りました。
あれでは常に対訳で、友好的な多くの言葉を交わすには離れすぎているでしょうに。けれど、我々の合唱団がどれほどの高い評価を、それも最高の位置にある方から与えられた事は非常に感銘を受けることなのです。その団員たちはといえばまさにそれに相応しい態度で振る舞っていました。かなり怖気付かせる雰囲気にあったものの、彼らは言うまでもなくセレナーデを一曲上手く歌いあげました。

題に戻りましょう: もう一日中雨が降り続いて、私たちはその雨の中をみんなそろって世界平和公園を通って歩きます。でもこの雨は今日のプログラムにぴったりかもしれません。此処は原爆の爆発の中心でした。
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私たちは「原爆ドーム」の骨格を見学して、博物館では以前の都市の様子と原爆投下後の影響がどのように街と人々にあったかが具体的に示されていました。うろたえながら私たちはすべてを破壊した一瞬の後に残ったものを見るのでした。
平和公園で
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今までの痛烈な印象を受けながらの私たちの次の場所です。平和の鐘の元で私たちは『ドナノビスパーチェム』を歌い、クラウドファンディングプロジェクトに参加してくれた方々の名前を読み上げる度に平和のための鐘を突きました。(ちなみにラテン語のドナノビスパーチェムとは「われらに平和を」と言う意味です)
原爆ドーム前の合唱団
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今に戻ります: 私たちはショッピングセンターの中を通って、二階にある広島の代表的な料理を出すお店に向かいます。スパゲッティ(多分焼きそば?)とキャベツのオムレツ(お好み焼き)。入り口付近では自動車を好きな方向に向けることが出来る駐車場の回転床に感嘆しました。

私たちはお箸で食べることに段々慣れてきました。
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ホテルでは災害の被災者(被爆者)の講義を受けました。そのお話と画像は感動的です。何はともあれ日本語での説明とそれに続く通訳の仕方は少年達にはかなり眠気を覚えるようでしたが、雰囲気に調和するように懸命に頑張っていました。最後に核兵器を完全に無くすと言う政府への訴えがありました。この枠内ではその呼びかけは更に大きな重みを感じます。

休憩後--まだ雨は降っています--教会に向かい、そこで着替えます。
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それから? それからまた驚くようなコンサートを体験するのです! 合唱団員達がまるでその日、自分たちの力いっぱいの歌声で世界に平和のメッセージを送ったかのように!

最終的には双方の合唱団がいくつかの曲を一緒に歌い、またお互いの指揮者によって代わる代わる合唱しました。歌声のハーモニーです。

その後は集会ルームに夕食が用意されてあります。さぁ、みんなは自分の好きなものを見つけますよ。ここでもまた私たちに満足が行くようにホストが非常に気を利かせて努力していることが証明されていました。日本の児童合唱団の子供たちは私たちの団員たちに鶴を折ってくれました。
さて、この鶴がどんな意味を持っているか知っているだけに、この贈り物には心を動かされるのです。鶴は長寿の願いが込められています。それは震災の後に一人の少女が1000本の鶴を折って元気になることを祈ったからでした。少女は亡くなりました。けれどその象徴は全国に残されました。
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雨の降る中を私たちは帰路につきます。早く寝るなんてことは無いでしょうが、少なくとも今日の成功が良い眠りにつかせてくれるでしょう。年長団員たちは年少組がベットに入った後、少しの時間企画グループと一緒に成功を祝う事を許されます。それ(年少組の面倒を見ること)にも彼らは責任感を持っているのです。

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6日目: 3月20日 日曜 

変わりやすい天候にも拘わらず、合唱団は宮島に行きました。島にはチケットや衣服を食べるのが好きな鹿がいるので安心できません。夕方には市の代表と地元の交通局の歓迎を受けました。
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青年団員の何人かが前の日に、今日の朝食に添えるジュースとヨーグルトとジャムを買っておいてくれていました(ジャムとだけでも美味しい!)
その後(雨の中を)私たちを神聖な宮島に連れて行ってくれるフェリーに向かいます。数人の隊が遅れて着きますが(小さな例外はいつもの事です)それからはみんな一緒に神殿を見学しに行きました。 
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島にいる神聖なる鹿は人懐こくて切符や人の服を食べるのが好きです。

見学は大聖院から始まります。階段を苦労して登り切るとすぐに大変実用的な発明の説明を受けます:階段の手摺りの上に祈りの車輪があって、お経をすべて唱えなくてもその横を通りながらそれを回すだけで唱えたことになるのです! 
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神殿の中はもちろん靴を履いたままではいけません(団員たちはみんな穴の開いていないソックスを履いていました)。住職は話の中で、二つの願望のあることを説明してくれます。一つは将来の力になる肯定的なものです。もう一つは貪欲です。人は何かを手に入れるともっと欲しくなる。その欲は母親の胎内にいる間は存在していませんが、出生と共に現れます。と言う事で、私たちは心身の清浄のために、母の胎内である暗闇の回廊を手探りで歩きます。興味ある体験です。その次には世の中の幸福の灯りが天井から下がり、数え切れないほどの仏像があるお堂を見学します。お線香の香りが充満していました。この高台からは川と本土の絵のように美しい丘陵の景色が見渡せます。

お食事は座ってします。
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お昼の休憩時間にはご飯の上にある鰻が出ました。その時は私達に貸し切りの部屋が用意され、私たちは最も伝統的な畳の上で低いお膳の前に座りました。とても心を込めて盛ってある箱(うな重です)。残念ながらみんなにではありませんでしたが、ウナギは思っていたのと違って非常に美味しかったのでした。
最後は厳島神社を散策しますが、それが(満潮時に)水に立つ有名な鳥居のある神社なのです。このユネスコの世界遺産は杭の上に建てられ、木製でその赤い鳥居には何度も視線が行ってしまいます。岸辺でのグループ写真(雨や風にもかかわらず)の時に、何か青いものが空高く飛んで行くのが見え,それから海に落ちました。確実に見定めた者は、水の中から出ている部分でそれを傘だと判断しました! 残念ながらいつも付きまとっている包括かつ専門的な眼識を持つ我々の記者チームはそれが起きた時に数秒遅れてしまいました。
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「この像はみんな、コンサートでの少年達みたいな厳しい顔つきをしているよ」と、団員の一人。

さて、世話役の付いた各グループは、島を(丘を上って塔や他の建物を)見学したいのか、それとも本土にまっすぐ戻りたいのか自分で決めることになります。私たちは短距離の道を選んで市電に長く乗ることにしました。

夕方近く、合唱団のセーター姿でみんながロビーに集まり、歓迎会場に向かいます。そこにはとても美味しそうなご馳走が用意されてありましたが、まだラップで包まれていました。 私たちの恐れていたことが実現します: 忍耐の訓練をするのです。まずは最初にスピーチなのです! そうは言うものの、ここでも私たちの訪問がいかに意味を持っているのかを判断します。 市長代理、牧師、広島児童組合(この本当の名称がわかりません)の代表、交通局の役員の方がいらっしゃいました。この方は広島がハノーヴァーに茶室を贈り、そのお礼に市電を受け取ったとお話してくださいました。皆さんはここでまたとても暖かいお言葉を送ってくださり、ヘルベルト・シュアはなぜこの旅行を敢えて行うことが出来たかを説明しました。なぜなら此処にいるタカがいなかったら、ブリギッテ・シュアの細心の準備にも拘わらず、何事も上手く進まないからです: タカヒサとシュアの個人的な友情は数年前にゲッティンゲンで始まっていました。

夕食後、琴(横たえてある弦楽器)とフルートの素晴らしい演奏があります。 奏者は二人とも特別に美しい衣装を着ています。 私たちの団員は、この歓迎と耳に甘いお礼に、満腹ながら空で覚えている曲を歌いました。時間が過ぎているのも関わらず、ホストからアンコールが出たと言う事は、確かに気に入ってもらえたという最高の証明でしょう。

会場を出るときにみんなはまた贈り物を受け取りました: 市電の印刷がしてある手提げ袋に入った布(多分手拭?)
つまり徳島から始まった時のようにここでも贈り物をするのを好みます。あそこでは団員みんなが歓迎会の時に額に巻いた鉢巻をプレゼントされました。旅の終わりにはトランクの重みがどうなるか緊張です。

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7日目: 3月21日 月曜 

今日は長いバス旅行に挑戦でした。武士の砦での途中下車は歓迎された気分転換でした。

シャポー!! これは時間別に朝食を取り、荷物を纏めなさいと言う意味です。その後はトランクはすべてロビーに持ち運ばれます。時間通りに二列に並んだ78個のトランクの横には手荷物を持った団員たちが残らずいました。 これで京都への旅に行くことができます。緑に包まれた火山地帯の丘陵を走るバスの長旅は退屈しません。あるものは計画準備をし、あるものは寝て、またあるものは通路のテーブルでカード遊びをし、一番後ろでは回転席のお蔭で快適なラウンジを作っています。
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姫路城はその湾曲のある壁とうねりのある屋根で、ある意味では登りににくく、他の意味ではそのダイナミックな姿は悪霊の象徴的な防御です。此処に桜が咲いていたらどんなに美しいことでしょう。大きな蕾はただ一回の暖かい日を待ちわびています。私たちはお城の厚い床板をソックスで歩いて行きます。それからグループごとに食事の出来る場所を見つけ、その後京都に向かいます。夕食時間きっかりに、素敵な日本風に建てられてある、特に手入れの行きどどいている印象のユースホテルに着きました。今日は団員たちはまだ少し自由時間があります(彼らが日本式のベット(お布団)を敷いた後で--- 上手くできない子供たちには年長者が手を貸します)、それでもみんなは実際にはいつもより早く床に就くことにしました。

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この記事へのコメント

mika
2018年03月24日 15:59
ponko様
第3段を訳してくださってありがとうございます!
広島は雨だったんですね。原爆の被害にあわれた方々があの日 あの火の熱さの中で求めた水をゲッティンガーの皆さんに感じてもらいたかったのかな‥。
私も広島の原爆ドームに行った時 冷たい雨が降っていました。空は青かったのに。
本当にドナ ノビス パーチェンを祈ります。
ponko様が前のコメントにいつか彼らの現地で演奏を聞くと書いていらっしゃるのを読んで、彼らの地元での演奏は演奏旅行での歌声とはまた違った感動が伝わるんだろうなーととても羨ましく思いました。
ponko310
2018年03月25日 06:52
mikaちゃん
雨が降っていた事をそういう風に表現できるあなたはなんて詩的で繊細な少女なのかしら。
頭が固くなっていた私には衝撃でした。
ゲッティンガーの記事を訳して良かったと思えた瞬間でした。
今朝彼らのHPを見たらまた新しく更新されてあったのであたふたしています。
時間が無くて読んでいないのですが、今度は何が書かれてあるのか楽しみです。
さぁて、翻訳に掛かりましょうか。
ek
2018年03月26日 06:55
Ponko様
ゲッティンガーの皆さんの滞在記の続きを訳してくださりありがとうございました。お疲れ様でした。
今回は広島・宮島・そして姫路城と日本が世界にアピールする事が沢山ある地に足を運ばれ、彼らなりに「日本」を感じてくださっていることがPonkoさんの訳から伝わって来て嬉しく思います。
各地で受ける歓迎スピーチは通訳者の存在もあり、彼らにはちょっぴりより長く感じてしまうでしょうね。
彼らが平和を訴える日本の地で、平和を祈る歌を響かせてくださった事は大変有意義な瞬間ですね。
宮島の朱塗りの鳥居や姫路城の美しさは、世界に誇れる日本の建造物。彼らの目には日本はどのように映っているでしょう。日本が穏やかな静かな平和を望んでいる事をあの原爆ドームから伝わったと信じます。
彼らが歌を通して平和を祈り伝えていてくれると私達に伝わっているように。
ポンキュータさんありがとう。
ponko310
2018年03月26日 07:26
ekさん
翻訳だけって、自分の意見が好きなように書けないから自制心でストレス溜まっています。
育ち盛りの少年たちが宴会のご馳走が気になって仕方ないように、私も訳していて焼きそばとかうな重とかもう、食べたい!!
ドイツでは室内で靴を脱ぐ習慣なんて無いから、靴下の穴は隠せないですね。
面白いことが書いてあって笑いながらの訳です。
ek
2018年03月26日 15:51
Ponko様
ブログを訳すだけで、ご自分の思いを押さえていらっしゃるのは読ませていただいている私達にも残念な事です。
書かれている彼らの行動や思いの中に緑色のPonkoさんの感想やコメントが入れられていたら なおさら楽しく彼らの事を理解出来るのではないかな~と思っておりました。
なぜなら、Ponkoさんは彼らの日常の生活感をご自分の生活と合わせて私達に伝えてくださる事が出来るんですもの。
彼らのブログの訳を通して、Ponkoさんが感じるドイツの風と香りをいろいろ教えてください。
きっと今以上に吹き出してしまう楽しい記事になると思います。
ponko310
2018年03月26日 19:51
ekさん
ダメダメ、彼らが日本にいる間は、ファンのためにまじめに翻訳を続けます。
だって団員の一人が言っているでしょう。
コンサートの時の生真面目な顔って。
教会に響き渡る神聖な歌声の天使たちの、その雰囲気を壊すような野暮なことは致しません。
ドイツ風の香りねぇ~、うん、年長者の彼らが靴を脱いでソックスだけになる時はアルプス産のチーズのきつい香りが味わえるかも、キャハハ。
maa
2018年03月26日 23:56
ponko様 とても素敵な翻訳。
情景が目に浮かびます。彼らが各地で歓待され、それぞれの土地で貴重な体験をしていることがわかります。難しくて対応しきれない年少さんたちも、ドイツに帰りもう少し成長したときに、この旅がどんなに充実したものであったか気づくでしょう。
朝食のトーストが上手に焼けなかったことや、甘いジャムでなくバターパンになってしまったことも、いつか甘~い思い出に変わるにちがいありません。
東京カテドラルは屋根がとても高い設計で、残響が長く合唱指揮者は最初それに苦労するらしいのですが、完璧にいったときの素晴らしさは現世を忘れるほどの美しさです。
そこまでの道のりはもう少し先ですが、またまた楽しみになってきました。
ponkoさん、忠実な翻訳者としてもちょっとの辛抱よ。ドイツの子どもたちのために頑張って!
ところでここのメンバーはドローンを持っていて時々撮影しているよ。それがなかなか面白い。
ponko310
2018年03月27日 01:29
maaさん、やっと訳が終わったとホッとする間もなく、8日目と9目目のブログが更新されていました。
もう、PCゲームの時間が無い!!
今日は面白いテレビがあるというのに。
でも、彼らは鎌倉に着いてしまったので翻訳を急がないと!!
ドローンって空に飛ばして撮影できる飛行カメラの事でしょ?
どんな映像だろう、私も見てみたいな。