189 WSK-OdFのお部屋41/1960年以前

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映画「青きドナウ」を見てウィーン少年合唱団のファンになる前に、すでに団員時代を終えていらした男性諸君とネットで繋がり、その頃の話題を沢山いただく事になりました。

でもねぇ、前の記事でブロ友のekさんが、自分が生まれる前のお話になりそうねとコメントしていましたが、本当にそうなりそうですよね。
私の初めてのペンフレンドになってくれたのが現役ウィーン少年合唱団員だった11歳のウサギちゃん(記事12)でしたが、彼のお父様も団員だったと知ったのは45年も後の事でした。
ウィーン少年合唱団の宿舎がまだアウガルテン宮殿ではなかった時代の方で、もし初めてお父様に会った1971年にそれを知っていたら、いろんなお話を伺っていたのにと今更ながら残念で仕方ありません。
もっとも、当時の自分はドイツ語が初級でしたし、まだ若い心に過去の話の入る余裕など無くて、ジェントルでハンサムなペンフレンド達と遊ぶことばかりで頭の中が一杯でしたからね。
いや、楽しかったと言えばそうなのですが、お世辞の上手な熟年の元団員の紳士方と他愛ないおしゃべりの出来る今はもっと楽しいです。
ところで、その彼らのそりゃもうず~っと先輩に当たる1907年の団員達のアベ・ベルムコルプスのレコードの音声ファイルが手に入りました。
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うっとりと楽しんで聞ける段階の音色ではありませんが、筋金入りのオールドファンなら一度は「最も初めのウィーン少のレコード」を聞いておくのも悪いもんじゃないぞ------と自分勝手に載せておきます。



これを歌っているのは今のウィーン少年合唱団が「宮廷礼拝堂少年聖歌隊 KuK Hofsängerknaben」と言う名前だったころの少年達です。
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これが上品な宮廷合唱団にふさわしい制服だったらしい。
古いと言えばついでですがね、前の記事188のコメントに何度も出て来た、ウィーン少年合唱団の祖先に当たるヴィルテン少年合唱団の今の歌声も出しておかないわけにゃいかんわ。


さて、これで一応筋が通った・・・・とまた一人で自己満足。
動画で何度か聞いたことはあっても(聞きながら何かしているので画像は見ていない)中身は全然知らなかったヴィルテン少年合唱団でしたが、ブロ友のPfirsichchenさんが二年前にこんなコメントをくれていました。
「私の知り合いの歌手に、インスブルックのヴィルテン少年合唱団出身の人がふたりいて、なんとふたりとも、合唱団時代に日本に行ったことあるそうです。この合唱団は後にも先にも一回しか日本に行ってないと思うので、すごい偶然です。当時私はまだ日本に住んでいたけど、この合唱団が来日したことはもちろん、合唱団の存在すら知りませんでしたが。
彼らの話によると、舞台の上で、もし顔を触ったら罰があったそうで、それが何回かになると、お出かけの日に、ホテルでお留守番というのがあって、日本公演中、ふたりとも同じ時にそのお仕置きを受けたそうです。
そして、この話にはオチがあるんだけど、なんとこのふたりは、哀れに思った関係者の方に、とっても美味しいものをご馳走になって、かえって他の子供たちに羨ましがられたとのこと。」
私の頭の中はエメンタールチーズなのでこのコメントの事は忘れていた気がしていましたが、読み返すとまだしっかりと覚えていましたよ。
日本に来たのは1982年と言う事ですから、その頃のウィーン少もまだ手を後ろにキリリと組んで凛々しく舞台に立って、指で顔を触ったり髪をあげたりする姿勢は全く見れなかったと思います。
1983年のブルコアの動画を見たけれど、昔のままの舞台だった。

さて、私は気軽にヴィルテン少年合唱団が世界最古の聖歌隊かと思い込んでいましたが、ブロ友のYuichannさんがメッセージで更に遡る時代を教えてくれました。
「私もWSKのお兄さんでもあるヴィルテン少年合唱団が最古の少年合唱団だと思っていました。ですから更にヴィルテンを作るきっかけの合唱団が有ったのには驚きました! 
ルーツはベルギーに有り。
マクシミリアンがベルギーのお姫様と結婚して統治していたことがあり、そこで聖歌隊に感銘し、奥様が若くして亡くなった後、インスブルクに帰って自分の教会で歌う聖歌隊を作ったそうです。
自分がいなかった間に乱れた国を再び治め、歌にあるようにインスブルクに別れを告げウイーンへ行きました。」
確かにウィーン少年合唱団の歴史にはハプスブルグ家のマクシミリアン1世が必ず登場してますよね。
単に合唱を楽しむのに歴史はいらないの方針で素通りしていましたが、ドリー君が神様と思ったローマ教皇に認められて神聖ローマ皇帝になったマックス君は、やはりちょっと頭の隅に入れておかないとね。
と言っていたら、うまい具合にマックス君の画像の載った、ハインリヒ・イザーク作曲の「インスブルックよ、さらば」の動画が見つかりました。

いつもの如く余談が始まるのですが、この動画の写真は1963年に出たムント隊が録音したレコードのカバー写真ですけれど、ekさんが御自分の持っていらっしゃるCDの写真を送って下さいました。
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この録音に参加したムント隊のライニーさんは、この自分たちの合唱をまだ一度も聞いたことが無かったんですって。
少年時代の団員達は自分たちが歌ったレコードを結構知らなかったりするんですよね。
ルカもヨハンシュトラウスのワルツの録音を覚えているけれど、まだ聞いたことが無いみたい。
きゃ、ホントに余談になってしまった~、
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でもこの人がいなかったらウィーン少年合唱団も無かった。
でもポンポンダヌキにはウィーン少年合唱団の歴史はやっぱりウォルト・ディズニーからなのでした。
きちんと詳しい事が知りたい賢明な方はウィキペデイアでどうぞ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%83%9F%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B31%E4%B8%96_(%E7%A5%9E%E8%81%96%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E7%9A%87%E5%B8%9D)

そしてひとっ跳びして、1937年に録音されたエッティ隊のジロメッタ。



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同じ少年達かどうかわかりませんが、丁度その翌年にゴンボス隊が船でアメリカの演奏旅行に行っています。
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驚いたことに、その船旅にはドレスデンクロイツ少年合唱団も同船していて、二つの合唱団は夕べのコンサートを開いていたそうな。
ファンとしたら、全く何と豪華な旅だったんじゃろう。
逃げ場のない船の中なら団員達と追いかけっこが出来たわ。
もちろんファンは追いかけられる方にしてもらいましょう~

その頃のアメリカではシェラックと言う資材を使ったSP盤のレコードの録音が行われており、ゴンボス隊も何枚かのレコードを吹き込んでいます。
その一枚が記事121の最後の部分に載っているスタバートマーテルです。



おっと、これは全6曲のうちの一つで動画には含まれていない部分です。
121の記事を出した頃、私はてっきりこのレコードの合唱団が戦争でウィーンに帰れない少年達だと思い込んでいました。(https://ponko3.at.webry.info/201506/article_1.html
これは勉強嫌いの落とし物で、説明に指揮者がゴンボスと書いてあるのに見ていなかったせいです。
もしそのレコードの合唱団がモーツアルト少年合唱団だったら、指揮者はゲオルク・グルーバーのはずでした。
その動画に載っているコメントを良く読み返したら、合唱をしている少年達とは書いていなくて、そこに写っている少年達の事だとわかったので、今更ながら編集の手直しをする羽目になりました。
ちなみにグルーバーはウィーン少年合唱団のカペルマイスターを辞める前の1933年に此処で美しき青きドナウを指揮しています。




とんでもない昔の1907年から始まって、次は半世紀後のマイヤー隊にいたギュンニー君のアメリカ演奏旅行のお話しにしましょう。

演奏旅行は1956年の11月28日にウィーン西駅から始まりました。
肉親達が見送りの手を振る西駅を後に、パリに向かう列車の中で少年達はすぐにくつろいでトランプ遊びを始めたり新聞を読んだり、誰一人退屈するものはいなかったそうです。
寝台車で夜を明かし、翌日のパリでは演奏会をする教会でホームステイの方々と落ち合ってそれぞれの家に分かれました。
午後にはまた団員が集合してエッフェル塔を見学しましたが、数日前に火事があって一番上までは登れなかったそうです。
翌日はパリ見学の後、その教会でコンサートがあり、ホームステイの二晩を経験した朝、シェルブールの港からニューヨークに向かうクィーンエリザベスに乗船しました。
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船ではマイヤー指揮者をはじめ、揺れる足元にほとんどの団員が船酔いをして、初めの日はお腹の中には何も保管されなかったようです。
私も横浜からソ連に向かう船の中でひどい経験をしたことがあったっけ。
私は太平洋だったけれど、ウィーンの子供たちはバルト海のお魚に沢山餌をあげたのね~。
体の強い子は早く回復したけれど、やっと全員がすっかりそろって食事の出来るようになったのは4日目だったそうです。
その日の午後にはみんなで一緒に小さなコンサートをご披露出来るほど元気になったようですね。
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クイーン・エリザベス(RMS Queen Elizabeth)はキュナード・ラインの航路客船で、その頃世界最大の客船だったようですが、やっぱり船酔いは避けられなかったか。、
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1月6日にニューヨークの港に着いたときは、期待していた高層ビルが霧のせいで見えなかったのでみんながっかりしたそうですが、船の横には船体が酷く破壊された大きな客船が横付になっていました。
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それは前年の7月に衝突事故を起こして転覆したイタリアの客船アンドレア・ドーリアによって運行不可能となったスウェーデン・アメリカ・ラインの客船「ストックホルム 」だったそうです。
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アメリカでの演奏会は毎回のように超満員で、感激が冷めやらずになかなか会場から出ない観客もいたそうです。
そう読むと、高校時代にもらった切り抜きに、アメリカでオペレッタの女装を見た観客が男の子だと言う証拠を見せてくれと楽屋に押しかけたとありましたっけ。
ミシガン州のコンサートでは、ある婦人客が「驚いたのは、あの子たちが男の子のように見えるのですもの。みんな小さな天使のように見えるべきなのにね。」と言ったとか。
おばはん、どう言う事じゃいな。
ekさんにはちゃんと天使に見えていたし、私には貴公子に見えたけど。

長い間の演奏会はすべて成功で、再び帰路に向かう船の待つニューヨークの港に着いたのは4月4日でした。
帰途の船の中ではまた船酔いが無かったことを祈りますが、ギュンニー君はこの写真では大丈夫のようですね。
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あ~ぁ、この4日間の船旅でこのウィーン少年合唱団と一緒だった日本の方達がいます。
5人家族の横井さん、このブログを見つけたら是非、あの日の思い出話をしに来てくださいな。
帰りの船の中でも少年達は小さなコンサートをしていますね。
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少年達はこの長い演奏旅行を無事に終えて、4月8日にシェルブール港に到着しました。
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そこから再びパリ経由で、翌日の夜に約3か月ぶりにご両親の待つウィーン西駅に辿り着きました。

これはギュンニー君のウィーン少年合唱団員時代の初めの思い出で、彼はその後国立劇場で3人の童子の一人として歌い、チロルの山荘でオペレッタのバスティアンの役をしています。
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その頃のクリスマスレコードにギュンニー君が二重唱でアルトを歌っている曲がありました。




彼がいた頃のマイヤー隊の歌声がまだ在りますが題名がわかりません。





ギュンニー君が1959年まで変声していなかったら、ハネスと一緒に来日して「いつか来た道の」映画にも出演していたのでしょうね。
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この記事へのコメント

ek
2019年03月23日 01:28
Ponko様
なんだかおそろしいほどの時間の逆送に、寝ぼけ眼の私の頭と心と耳がついていけません。よう~く、熟読しないとこの歴史的内容を完全に把握出来ない位の素晴しさです!
私が生まれる前 私だって相当の古い歴史を過ごして来てると言うに....。
私事でじっくり歌声を今は味わっていられず、非常に残念ですが、この歴史的なすごいお話を提供してくださってPonko's friendに心からの感謝を!そしてこの壮大な歴史的ロマンの出来事をこうして取り上げ ブログに掲載してくださったPonkoさんのご尽力に敬意を表します。ありがとうございます‼️寝ぼけ眼を覚まして 再度史実報告を受けさせていただきます。「ekよ!目覚めよ 」と呼ぶ声が聞こえます。私は夢を見ているようです。 おやすみなさいzzz...
ponko310
2019年03月23日 06:29
ekさん
とんでもない。
このタヌキブログには難しい事は一切書いてありません。
そんな夜なべをした目で読むから字が躍って訳が判らなくなったのでしょう。
休日にまたゆっくり覗きに来てくださいね。
maa
2019年03月23日 12:35
ponkoさま
出かけるつもりで玄関の外に出たら、今日は冷たい雨。世田谷文学館まで遠いしなぁ。約束があるわけでもないし・・・予定変更してPCを開けました。そうして一番に聴いたのが、1907年の録音です。
雨音の中で耳を澄ませて聴いているようだわ。アルトパートも聞こえてくるね。ひょっとしてオケは宮廷楽団・・・ウィーンフィルかしら? 一つの録音で想像は広がりますよ。
写真の制服について、第一次大戦前までは歴代の皇帝から特別の制服を下賜されていたと、手持ちの本に書かれていました。
うちのプレイヤーは78回転がないので、SP盤はたとえ手に入っても聴けない。貴重な音源をありがとう。
ponkoさんはいよいよウィーン少と日本のファンとを結ぶ架け橋になっていきますね。あなたの人柄と語学と筆の力、もう運命とあきらめて架橋工事を続けてください。
Yuichann
2019年03月23日 13:57
Ponko さん 凄い! 1907年というと、日本は明治時代の終わり頃。貴重な歌声をありがとうございます😊 !良く残っていましたね!写真は見たことがありまが、歌声に感激しました。
映画「青きドナウ」の初めの映像、どうしてアメリカ演奏旅行から帰国するのに列車なのかな?と不思議に思っていました。きっと1956年の時と同じにしたのですね。ギュンニー君可愛い😍歌声が聴けたのも良かったです。
偶然、日本人家族が乗り合わせていたのもおもしろいですね。きっと彼らのコンサートを聴いたのでしょうね?
ワクワク、ドキドキ💓当時の感想をお聞きしたいです?
色々な事が分かって楽しいです!
ponko310
2019年03月23日 18:09
maaさんのコメントはおおらかな夢とロマンがあって記事本体よりも読むのが楽しい。
レコードの雑音はノルタルギーを掻き立てますね。
雨の音にたとえたのがもっと心に染みる。
オケは宮廷楽団って書いてあるね。
今のホーフブルクはウィーンフィルだから、当時もそう言う事になるのかな。
制服の情報をありがとう。
あの制服で歌ってるのが何となくピンと来ない。
maaさん、タヌキはこのブログがウィーンファンの小さなお楽しみになってくれるのが嬉しいだけですから、ファンの期待する架け橋を作っていくには責任が重すぎるわい。
それにファンに対する元団員の方達の好意があったからこそ、このページが出き上がりました。
私自身のウィーンに関する話のタネは当に尽きていますのじゃ~

工事の為の資材が足りんのじゃ~。
ponko310
2019年03月23日 18:33
Yuichannさん
そうか~。私も青きドナウでは、飛行場からどうしてあんなアルプスの景色の中をわざわざ列車で戻ってくるのよ~、とブログ記事の2に書いていました。
でもYuichannさんの一言で明らかになった。
アメリカには船で行った肯定になっていたのかも。
ギュンニー君たちの船に乗っていた日本のご家族の方達は初めて少年合唱団を聞いたのかもしれないし、だったらきっとびっくりしたでしょうね。
ドリー君が日本で歌った時も、日本人は少年がそうやって歌えるのを初めて知ったそうだからね。
なんだか、その頃を思って私も胸が弾んでいます。
すてきなコメントをありがとう。
ヤマチャン
2019年03月25日 18:20
 55年組の登場だけでも驚きなのに、1907年録音のレコードまでとび出すとは!! かつて名指揮者」クレメンス・クラウスも在籍していた王宮付属聖歌隊の歌声がきけるなんて、もうもう本当にこのブログ見つけてよかったです。感激です。
 
 188のコメントででてきたウィーン少年合唱団のご先祖合唱団ヴィルテン少年合唱団の存在も初めて知りました。でもどこかで聞いたことのある名前だと思っていたら、夕べふとヴィルテナー少年合唱団というのを思い出しました。30年ほど前に買っといて忘れたままになっていた「ライジング」という雑誌で少年合唱団の特集の別冊の存在を思い出し、引っ張り出して調べたらありましたありました。チロル・ヴィルテナー少年合唱団。1982年来日。本拠地インスブルック。創立1946年。あれれ、もっと古いはずなのにと思ったら、中世からあるヴィルテン教会付属聖歌隊の復活を期して創立されたとありました。どうやら一度伝統が途絶えてしまったようですね。
来日時の評価はWSK等に較べて、素朴だったと書いてありました。 でもekさんのケルンザー少年合唱団を彷彿したというのは正解です。この合唱団の主要なレパートリーにヨーデルが含まれているそうなので。私もこの動画の歌声を聴いて、ヨーデルを歌ったら素敵だろうなと思いました。まだ思い出す前にです。
 ついでに古い新聞の切り抜きを調べたら、1982年には6つもの少年合唱団が来る予定という記事があり、その中にもしっかりヴィルテナー少年合唱団の名がありました。どうりでうろ覚えに覚えていたわけです。
ponko310
2019年03月26日 21:23
ヤマチャンさん
なんでしょうね、どういうわけか、このブログがとんでもないところまで行ってしまっています。
でもここのところ、こんな過去のお話にどうも親しみが湧くんですよね。
勝手に載せたこんな古い歌声に喜んでくださる方もいてくれて良かったと思います。
若いころはよく団員の取り合いとか、妬みとかの話を耳にして嫌な気分になったものですが、そういうものを通り越して今はそれさえも楽しい思い出になっています。

ヤマチャンさんはすでに気が付かないままにヴィルテンを知っていたのですね。
わざわざ古い雑誌を出して調べて下さってありがとう。
このコメントを目にした方でヴィルテンのコンサートを見ていた方がいるかもしれません。
一度伝統が途絶えて、また復活してくれた少年合唱団があるのなら、ウィーンの森がまたそうなってくれることを期待したいです。
ek
2019年03月28日 15:55
Ponko様
今はすっかり目覚めてはいるものの
ここに載せられた歌声やお話しに、まるで夢の国にいるような気さえしています。こんな事が今の時代出来てしまうんですね。1世紀以上前?
すごい時代になったものです。
歌声は、遠い昔に聴いていた(今も聴いているんですが)WSKのKinder Liederのなんとも言えない愛くるしさが残る懐かしいと言うか生意気な言い方ですが、素朴さと清らかさを感じさせてくれていますね。WSKは私にとっては、まさに清らかな存在で心に 身体に必要な清水みたいな潤い宝物です。この歌声こそがその清水の源近くなんですね。
ヤマチヤンさんがおっしゃっているように、ヴィルテン少年合唱団は第二次世界対戦中は活動を中止していたようですね。
Ponkoさんのおっしゃられたように ウィーンの森が再度....夢のような願いです。私がウィーンの森を知り、お付き合いさせていただくようになって、昨年で50年です。ここに書かれている歴史的なお話に比べたら、昨日の事のような歳月に過ぎません。皆さんの大切なPonkoさんブログにお邪魔してお話させて頂いた私のウィーン訪問時 その半数の日々を私はウィーンの森の少年や先生と過ごさせていただきました。先生とウィーンの森が活動しなくなった事を悲しいニュースとして話題にしている事は本当に寂しい事です。あの天真爛漫な明るい歌声のウィーンの森の合唱が聴けたらどんなに楽しい事でしょう。
ponko310
2019年03月28日 19:41
ekさん
私はこれからも此処でウィーン少に関するお話をして下さるブロ友さんを探し出しますからね。
ご自分でブログを持っていらっしゃらないファンの方が体験談や思い出をお話して下さることを期待しています。
ウィーンの森は聖歌隊でありながら、本当に天真爛漫と言う表現がぴったリな歌い方でしたね。
なつかしいな~。
ek
2019年03月29日 21:30
このお部屋の古き良き時代のWSKの歌声に感化されて 私にとって最良の年の彼らの歌声を聴いています。まだ55年しかたっていないのに、あの頃の素人の録音技術はここに掲載された歌声より、古く聞こえます。でも、私には どの曲も胸を打ち 心が震え 幸せの涙が流れて落ちます。懐かしのメンバーの顔が浮かび上がって来ました。その中には、もちろんヴォルフガングさんの歌う姿が浮かび上がっています。今日は4月29日ではなく、3月29日なのに😂。忘れ得ぬコンサートの曲目は、どんなに雑音が入っていようが、どんなに歌声が不明瞭であっても、不思議な位にどの曲も心に残っているものなのですね。
更に幸せな事に今日 親しい友が懐かしのWSKの歌声を大きな箱に入れて持ってきて貸してくださいました。まだ聴けていませんが、お返しするのは何ヵ月先になってしまう事でしょう。後輩達が来日してしまうのに....。私は1980年代から進めないのかな?
ponko310
2019年04月05日 05:08
ekさん
若き乙女はすぐに感化されますのう。
でも、懐かしい歌声はちょっとしたことでもすぐに聞きたくなるのかもしれませんね。
私も庭仕事をしながら72年組のコンサートを聞いています。
たまに手を休めてはルカの思い出に浸ってしまったり。
当時の歌声を持っているお友達がいるなんて運が良いですね。
そう、私も運が良い方でした。
何と言っても72年組のコンサートだもの。
それにしてもアングルベルガー隊は凄い水準だったと思います。
いくつかの宗教曲は何度聞いても覚えられない。