194 アルプスへの旅 1ヒンタービヒル

2019年8月2日 金曜日 薄曇り 5時40分 我が家より出発
11時30分 南ドイツのプファッフェンホーフェン。ホップの畑が続く。
(しかし曇っていたので、これは借りた写真です)Pfaffenhofen.jpgローゼンハイムの手前のブルックミューレから幾つかの渋滞にぶつかり、無料だが退屈なアウトバーンでの時間が無駄に過ぎて行く。
国境を過ぎオーストリアに入ると高速道路が有料に変わるので、一石二鳥の方を選んで景色のずっと良い無料の国道を走ることにする。
クフシュタインを通過すると、昔ながらの岩をくり貫いた懐かしい古いトンネルがまだ残っていた。
もうこれはアウトバーンでは絶対に見ることが出来ない代物じゃ~。
・・・・・と興奮してわめきながら写真は撮っていない。

14時41分 キッツビューエル近くになってようやくカイザー山脈に気が付き、急いでカメラを取り出し、視界から消える直前にパシャッ。
nach H a14 41.JPG
2013年に初めてキッツビューエルに来た時、ウィーン少年合唱団の夏の山荘のある方角を眺めて、ほのぼのと感傷に耽っていましたっけ。
https://ponko3.at.webry.info/201306/article_4.html
まさか今年、本当にあそこに行けるなんて夢にも思わなんだ。

ミッタージルから南に延びるタウエルン渓谷に入る。(写真は借り物)
felbertauern-104.jpg渓谷を通る国道108号線には、オーストリアで11番目に長い、5.3キロのフェルバータウエルントンネルがあり、外国ナンバーの車は11ユーロと有料で、香ばしくて美味しいポテチが10袋買える値段だ。
その間は景色も観れないのにオーストリアは外人にせこい。

トンネルを抜けるとそこはチロルであった(冬は雪国になる)。

1967年6月、つまりウサギちゃんのナイダー隊の代わりにキリアンのタイマー隊が来日して、その最中にこのトンネルが開通したらしい。
はて、このブログ主は根の張った旧ウィーン少年合唱団のファンらしく、何が何でも彼らに結び付ける理由を考えている。

マトライまで来ると道は南方と西方への二手に分かれる。
南方にはイゼル渓谷を走る国道がリエンツまで続く。nach H b.JPG1963年まで団員達は夏の山荘に行くために、①自分のナンバーの付いた着替えの詰まったトランクを持って、②6つの寝台のあるコンパートメントの夜行列車で、③何時間も掛けてリエンツまでやって来ていた。

あ、うふふふ、ムント隊の楽しいエピソードがあるんです(と、面白そうな話になるとコロッと口調が変わるのじゃ)
少年達が空いていたコンパートメントを見つけて中に入ると、そこにはすでに中年の婦人客が一人乗っていたそうです。
彼女は一番下のベットに寝ていましたが、電気が消えると5人の少年達の一人が荷物から人参を出してかじり始めたんですって。
カリカリポリポリと、列車の振動音に混じってその音がしばらく続いていましたが、急に静かになると、しばらくしてまたカリカリポリポリと始まってなかなか止まないので、しびれを切らせた女性客が「いったいいつまで人参をかじっているの。」となじったとたん、00-64304_01__1200x1200.jpgその少年は「僕は人参なんかかじっていません。僕が今、食べているのはソレッティ(塩乾パン)なんです。」と素直に答えたので、コンパートメントは団員達の笑いの渦に包まれたとか。
映画の「野ばらで」歴史の先生が生徒(タイマー先生)に答えを聞いたら「僕、生まれていなかったのでわかりません。」とナイーヴな返事が返って来た場面に似ていませんか?
明け方にリエンツに着いた少年達は、そこから国営の定期バスに乗ってヒンタービヒルに向かったのです。
このバスです。269606_c.jpg------------------------------------うそ。

「当時(1924年)はリエンツからマトライまではバスは1日に一度しか通っていなかった。」ウィーン少年合唱団と共に戦争時代を生き抜いたシュニット総長はそう書いている。nach H b.JPG
15時26分  車はマトライで右に曲がってヴィルゲン渓谷に入る。
ヒンタービヒルに行く道路はこのヴィルゲナー街道以外に無い。
95年前、シュニット総長は友人と二人で此処を歩いていたのだ。
え?あれってまさか郵便受け?nach H c.JPG15時56分 山の景色が迫ってきたように感じる。
あんなに何もない山の上から流れ落ちる滝の水源を見てみたい。nach H d.JPGいや、あんな高いところまで行けるはずがないので断念する。

16時6分 景色に夢中で、この小さな村の標識を見過ごしたが、この渓谷の名の由来のヴィルゲンの街に違いない。
nach H e.JPG目の前の定期便のバスはリンツから来たのだろうか。
1970年頃までの定期バスは映画「野ばら」にも出ている。1956.JPG1963年に団員達が最後に乗って山荘に行ったのはこのバスだった。bus1960.jpg
リエンツからヒンタービヒルまでのバスの運行表
https://www.osttirol.com/fileadmin/pdf/bus/951_ab25.5.pdf

目的地の旗がナビに現れ出した。
H 2.Aug a.JPG
ははぁ~、ここがプレグラーテンの入り口か。
nach H f.JPGシュニット総長は、此処に合唱団の山荘を計画したつもりだった。
しかし欲の深い農家の連中が土地の値段を釣り上げたので、更に谷の奥深くヒンタービヒルという寂れた場所に山荘を建てたのだった。

16時16分 その寂れた場所に接近。
nach H g.JPG16時22分 おっ、寂れた場所を改修してる。
nach H h.JPG寂れた場所では雨も降り出すのか。

16時27分 あそこに小さく見えて来たのがヒンタービッヒルだ。
nach H i.JPG目を凝らして期待に包まれてカメラの事など忘れてしまったわい。wetter-0011.gif von 123gif.de雨が強くなったので取りあえずホテルに急ぐ。

あっ、ホテルの中に入る前に玄関の左にある標識に気が付いて感激
H Heimat c.JPGこれはプレグラーテン自治体が、合唱団の山荘の建築と観光地の開拓に勤しんだウィーン少年合唱団のヨセフ・シュニット総長に敬意を評して献上したものだ。
こんな所でウィーン少年合唱団とシュニット氏の固有名詞に会うとは。
やっぱりここには「野ばら」の山荘の痕跡があった。

ま、何はともあれレセプションに。P1130460.JPGこれが旧「少年たちの家」だった現在のホテル「ハイマート」のオーナー、西ドイツのリゾート地のジルト島でホテルを経営していたウルリヒ・ドレーヴィッツ氏だ。
彼の話では毎年必ず元ウィーン少年合唱団員だった宿泊客があるとか。
山荘を知らない67年組後のウィーンファンの人には興味の無い事だ。

ロビーに続く廊下には何だか懐かしい写真がずらりと並んでいる。P1130459.JPG私達の部屋はリエンツの方角に向いていた。
質素だが清潔で居心地は悪くない。HP1130405.JPG
トラック隊の団員だったドリー君が「少年たちの家」の頃の写真を何枚か送ってくれたので現在の様子と比べることができた。J3.jpg団員の部屋からの古い写真には、右の部分にまだホテル・ウィーン少年合唱団の一部分が写っているのが見える。
現在はホテルが取り壊された後に、貸し別荘が二つ建てられているが、これからまだ増えるらしい。

さて、雨が止んでくれたのでこのホテルの周りを見に出る。P1130403a.jpg
これは何かと思ったら、少年の家の土台だったそうだ。P1130402.JPGこれが直接の過去に繋がる唯一の記念物なのだろうか。
今も昔もこの建物には地下室が造られていなかった。
H Heimat b.JPGウィーン少年合唱団が行う日曜日毎のミサが無くなってしまっても、この敬虔な土地のイエスの像は今でも変わりなく同じ場所に残っていた。OThotel726rugg.jpg左は1980年代のホテルWSKと、その頃何もなかった場所に新しく建築されたお隣のホテル・ベルククリスタル。H Heimat f.JPGこのホテルはキャンピング場も経営していて、車のナンバーを見るとオランダから来ている旅行者が殆どだった。
あの木造の別荘の場所がホテルWSKだったと思うと悲しくなる。

思い直して向きを変え、イセル川のある道路の方面に行ってみる。H zu Mühle.JPG団員達は、何があってもこの渓流に近づくことは一切厳禁だっだそうだ。P1130372.JPGうん、この流れを見て、厳禁だったのが判る。
渓流に掛かる橋を渡り、振り返ってみるとその橋はあの映画の場面とちっとも変わっていない。P1130234.JPGここにも「野ばら」の痕跡がそのまま残っていた。
この流れの行先にはドリー君の送ってくれた写真のチャペルがある。H kapell.jpgあのチャペルも今も変わらずに残っていた。
明日はあそこに行ってみよう。
新しく当時の痕跡を発見し、嬉しくなると急に空腹になり、1924年にシュニット神父がワインかビールを飲んだと思われる(当時は)たった一つしかなかった斜め向かいのホテルに食事に行くことにする。
ホテルに近づくと、ゴーゴーと大きな水音が聞こえ、野ばら」では出て来なかった水車があることに気が付く。P1130311.JPG時計を見るともう8時半になっている。
そろそろ暗くなってきたのでここも明日来ることにしよう。

Pension-Gasthof-Islitzer.jpgこのホテル・イスリッツァーの入り口にも当時のウィーン少年合唱団の思い出が掛かっている。H Gasthof Islitzer.JPGこの額の写真を自分の目で確かめるのが目的の一つだった。
P1130321.JPGレストランの雰囲気も好みだ。
シュニッツェルが美味しかったら此処も明日また来ることにしよう。P1130448.JPGキャッ、お茶を頼んだらマインルのカップ。
そしてウィーンのマンナーウェハースまでついてきた。
シュニッツェルはどう?H Gastof Islitzer 1.JPGサラダが付いていないのが寂しいけれど、美味しい
ウィーンのシュニッツェルにもサラダが付いていなかった。
ココが作ってくれたシュニッツェルにもサラダが付いていなかった。
こんな小さな事にも、この侘しかった土地にウィーンを感じさせる物をもたらせたウィーンっ子達の痕跡をまたも見つけた気がする。
だから明日も、また此処に来ることにしよう。gute-nacht-0002.gif von 123gif.de

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この記事へのコメント

ek
2019年10月19日 12:56
Ponko様
気持ちが清々しくなる風景に、所々に散りばめられたPonkoさんのユーモアと心躍らせる様々なお話。添えられた可愛い団員のイラスト。
ポテチを食べすぎないようにとのオーストリアの配慮と思ってください。トンネルを越えるとそこは雪国ならぬ夢の国。
少年達の賑やかな声が聞こえてきそうです。さぁ〜これから行かれなかった私は「野ばら」でも見ましょう。
maa
2019年10月19日 15:28
ponkoさま
ルポルタージュとして読んでいる気分になりました。ナイス×10はポチリたいです。
シュニット神父の名前があるプレートに嬉しくなりました。この夏、あの本を読み返してよかった。よけいにこの記事が楽しめます。ホテル・イスリッツァーの玄関脇に、ウィーン少年合唱団の写真が飾ってあるんですね。チロルなのに料理やお菓子までウイーン情緒で心をくすぐられます。
この旅行に多大な協力をしてくださったプッ夫君に、ありがとうとお伝えください。続きの記事も楽しみに待ちます。
Yuichann
2019年10月19日 16:48
Ponko さん
素敵な所、今でもウイーン少年合唱団の痕跡が残っているのも素敵ですね。空気がセキルンの山荘より良さそうですね。
昔は列車でチロルまで行ったのですか、映画ではバスでウイーンから行ったみたいになっていたけど?実際は違ったのですね。駅から公営のバスに乗って山荘まで行っていたのですか?映画は‥‥ですね。(ウイーンからかなり遠いのでずっと不思議に思っていました。)
解決出来てスッキリしました。なるほど‥‥。
ponko310
2019年10月19日 16:49
ekさん
あはは、ポテチ10袋じゃないけれど、安売りの日があったので3袋買ってしまった。
チロルの初日はあいにくお天気が良くなかったのですが、次の日から綺麗な景色が見れますからね。
「野ばら」の映画は日本語ですか?
それとも字幕かな。
ponko310
2019年10月19日 17:15
maaさん
そうでしょう~、少しでもあの山荘の事を知っているオールドには楽しい記事になると思いました。
ファンの方も一緒だったら他の発見もあったかもしれない。
新しいホテルハイマートはドイツ人が経営しているのでウィーンの情緒はありません。
でも、古くから山荘時代を知っているホテルイスリッツァーは入ったとたんに何か懐かしい雰囲気がありました。
プッ夫クンは今年もポンガウに行くつもりだったのですが、私の希望を聞き入れてくれて、東チロルに向きを変えてくれました。
新しい旅のコースはとても印象的でしたよ。
ponko310
2019年10月19日 17:46
Yuichannさん
私もあなたと同じく、あのバスはウィーン少年合唱団をウィーンから運んだのだと思っていました。
ところが山荘当時の団員達の話では、この記事に書いたようにリエンツから乗って来たのですね。
新しいブロ友のryoさんが辿った道です。
うっらやまっし~。
私もリエンツからイゼル川の名前のイゼル渓谷を見ながらバスでヒンタービヒルまで行ってみたい。
ま、マトライからも絵葉書のような景色でしたけれどね。
映画では、あのバスの後ろから、合唱団のバスが2台後を着いてまわっていたんですって。
撮影に失敗したら、そのVWバスでまた戻って、次の定期バスを待っていたのかもしれませんね。
現実を考えるとのんびり映画を楽しんでいるのに罪悪感を持ったりして・・・。
ryo
2019年10月20日 01:25
ponko様

懐かしいです。何年も経っているのに、「野ばら」の世界は、今も残っているのですね?あの全焼したホテル「ウィーン少年合唱団」は、そのままの場所でホテル"HEIMAT"になっているのですか?うー、泊まりたい。ヒンタービッヒルには、ここそこにウィーン少年合唱団の痕跡が残されていて、ウィーン少年合唱団と共に開拓され、発展してきたことがわかりますね?ヨーゼフ・シュニット神父への感謝のモニュメントがあったのには感動を覚えました。
ponkoさん、詳しくご紹介、ありがとうございました。嬉しいです。
ponko310
2019年10月20日 07:30
ryoさん
ヒンタービヒルまで行くファンは滅多にいないと思います。
懐かしがって行くのは昔、そこで夏を過ごした元団員達でしょうね。
ホテル・ハイマートはすっかり改築されてサウナまであるのですよ。
変わらないのは山の景色ですね。
ryoさんが泊った宿はどこなのか、まだ覚えていますか?
あの凄い音の水車小屋も覚えていますか?
次のチロルの記事は上からの景色が載っています。
ryo
2019年10月21日 00:48
ponko様

あのガストホーフは忘れることはありません。トーマスクックの時刻表を見ながら、リエンツから行くことがわかりました。あの水車小屋のそばで、写真を撮りましたよ。ponkoさんのコメをよく読むと、ガストホーフのイスリッツァーの方が、当時の面影を残しているのかな?
ponko310
2019年10月21日 02:03
ryoさん
ホテル内の風景は少年達の家は燃えてしまったので、すっかり変えたのでしょうね。
でもイスリッツァーはお部屋もレストランもノスタルジーで私は好きでした。
ホテル・ニーダーラインに泊まれなかったのは本当に残念でしたね。
でも、そこに行って声を掛けられたのだからすごい。
私は跡地の貸別荘の前で悔しがっていました。
ek
2019年10月21日 20:51
Ponkoさん
私の持っている"Der schonste Tages meines Lebens"と"Wenn die Glocken hell erklingen"のvideoはドイツ語 日本語字幕スーパー版です。
しっかり、懐かしの映像とブログ記事を比べたりして、今迄と全く違う見方をして楽しみました。
Ponkoさんの今回の旅のお話を読ませていただいたり、ryoさんやYuichannさんの思い出を聞かせて頂いて、私達の旅でこの地に訪れなかった事を残念に思っています。チロルはもちろん行ったのですが、私達の旅は友人達を訪ねる旅に終始してしまっていて、WSKの歴史ある地に足を運ばなかった事 今になって悔いています。
同行した友がここのお仲間の方々だったら、どんな旅になっていたのかな〜と想像してしまいました。もしかしたら、オーストリアから出なかった旅になったかもしれません。
これからも、私が見逃したオーストリアを、ウィーンを、教えて下さい。 

ryo
2019年10月21日 21:43
Heimatの方ではなく、Gasthofの写真を思い入れを持って眺めています。オーストリア観光局でさえ名前を知らなかったヒンタービッヒル。ホテルウィーン少年合唱団以外に泊まるところはあるのか、不安な気持ちでリエンツを発った私と友人を、豊かな自然とウィーン少年合唱団の話とおいしい食事で、オーナーご夫婦は私と友だちを一変して幸せな気分にしてくれたのです。ドイツ語ができれば、と悔やまれます。
ponko310
2019年10月22日 00:45
ekさん
みんなそれぞれの旅の経験があって、今こうして時の差を比べながら思い出話を聞けることは凄く付いてますね。
ウィーンのヴォーティフ教会なんて全然知りませんでした。
そのカフェがまだ有るかekさんならわかるのでしょうね。
あの二つの映画をドイツ語版で持っていらっしゃるなら、団員達の声が直接聞けて良かった。




ponko310
2019年10月22日 01:50
ryoさん
そのお話を伺っていたならば、イシリッツァーでお食事をした時にオーナーに声を掛けてお礼を伝えられたのかもしれませんね。
オーナーご夫婦は残念ながら奥様がこの5月に他界されていますので、ご主人はきっとがっくりなさっていられるかもしれません。
そんなときに昔の遠い国からの可愛い女の子のお客様がまだその時の暖かい接待を覚えていると聞いたらがぜんお元気になられたかも。
想像して楽しんでいます。
yuka
2019年10月22日 12:29
姐さま
今回のお部屋も私の知らないWSKを楽しませていただきました。
それにしても、WSKのホテルはそうとう山の奥深いところにあったのですね。
山の国ですからこれくらいは普通のことかも知れませんが。。。
このあたりの方たちに道を尋ねると、「少し歩いた所にある」と言われたのが実際は山ひとつくらい越えた所だったという逸話を聞いたことがあります(キャ~~~!)
さてさて、道中の超絶美しい景色で目のご馳走をいただいてトンネルを抜けると、そこには「野ばらの郷」がありました。
私には映画「野ばら」の背景として馴染み深いところです。
あの景色がそのまま残っていたのを拝見して、マリア先生が祈りを捧げる感動的なアヴェマリアのシーンが蘇ってきました。
それにしても、新しいホテルにはWSKの写真や縁のものがまだ遺され飾られているのには感謝かんしゃです。
次は何処へ?旅の続きを楽しみにしています。

ponko310
2019年10月22日 17:38
yukaさん
楽しくて嬉しいコメントをありがとう。
「トンネルを抜けるとそこは野ばらの郷だった。」
素敵なアイデアだわ、さすがyukaさん。
ホテル・ハイマートに残っている写真は一部がホテル・イシュリッツァーに飾ってあるものと同じでした。
あんな侘しい場所に、ウィーン少年合唱団のお蔭で世界中から観光客が来るようになって、ホテル・WSKに泊まれそびれたお客がイシュリッツァーに泊まったとかんがえました。
現に、WSKのオールドファンのryoさんも同じような理由でイシュリッツァーに泊まったのですからね。
これからも綺麗な景色がたんと出ますよ~。
maa
2019年10月22日 22:25
ekさま & ponkoさま
こちらを拝借してほぼ個人通信です。笑
今日DVDで野ばらを見たのですが、ほんの少しずつ短いドイツ語が聞こえてくるようになりました。
マリアさんがトーニに、字幕では「男の子でしょう。元気出して」というシーンで、「Kopf hoch 」と言ってました。
すごくさりげなく、子どもを抱き寄せながらでも言えるんだと思いました。ご存知かと思いましたが、私も気づいたことをお伝えしたかったのです。ekさんから教わらなかったら、理解できない言葉でした。
ek
2019年10月23日 10:34
maaさん
お気づきになられましたか?ほんの短い言葉ですが、私には大切な思い出 大切な言葉です。そして、その言葉がPonkoさんがお話下さった旅の素敵なお話から、そこに登場する風景のWSKの想い出の映画に繋がり、大切なPonkoさんのブログのお仲間に繋がって また違った感動の言葉になりました。
maaさん ありがとうございます。あの時 聞いたあの言葉、本当に優しい響きの言葉でした。マリアさんがトーニーを優しく抱きしめて言った様に、私を優しく抱きしめてくれた言葉でした。

Ponkoさん 
またまたコメント欄をお借りして、maa様にお礼を言わせていただきました。ありがとうございます!
ponko310
2019年10月23日 18:04
maaさん
映画「野ばら」がドイツ語で日本語の字幕なら勉強にもなりますね。
でも直訳じゃないから訳者によっては違う表現になるのかも。
それにしてもさすがmaaさんです。
あんな小さな表現を聞き逃がさないなんて。

ponko310
2019年10月23日 18:26
ekさん
何だか壁に耳を付けて、お隣の部屋の会話を盗み聞きしているような気分に・・・。
こんな繊細な優しい会話にほんわか気分です。