190 春ですからね 2

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そう、春になると嬉しい事が沢山発生するのです。
私は自分の家の小さな池にいつの間にかイモリが住んでいたのは知っていましたが、この春、生れて始めてその赤ちゃんを見つけました。
多分、去年孵化して魚に食べられずに、無事に冬越しをしたのでしょう。
これには嬉しくなって、SNSに載せたら早速愉快なドリー君から「見つけ物は遺失物取扱所に届け出なくてはね。」とコメントが入りました。
このドリー君は1955年12月の第一回目に来日したウィーン少年合唱団のトラック隊(後のモーツァルトコア)に加わったキューバッハ隊(後のシューベルトコア)の団員の一人でした。
彼のコメントに、自分の庭で見つけたものは私のものです、と反発したら、何とまぁ 「よろしく召し上がれ」ですって。
まさかイモリの黒焼きを知っているとは思えないけれどちょっと呆れて画像
小さすぎるでしょ~がぁ、と答えると「他のものと一緒くたに混ぜる。」と助言があったので、それにはゲーッ、どぎついんだよ、と返してこの絵を付け足しました。

あ、この問答で今、思い出したのですが、以前ベルリンにあった家の庭にはナメクジが沢山いて、せっかく出た新芽をみんな食べてしまうので、殺処理するために箸で取って集めていました。
ある日、垣根越しにそれを不思議そうに眺めていたお隣のおじいさんが何を探しているのかと声を掛けて来ました。
「憎たらしい大きなナメクジですよ。」
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こんなのがいて、大きいものは7センチぐらいあり、食欲旺盛です。
「取ってどうするのですか?」
「集めたら残酷に熱湯を掛けるのです。」
それを聞いたお爺さんは目を丸くして「・・・で、食べるのですか?」
ぎゃ~、 た、食べるのですかって聞かれた 
その食材を想像して総毛立ちましたが、「だって、日本人は生で魚を食べるんでしょう?」と突っ込まれてあせってしまいました。

当時のベルリンは今のように寿司店が普及していなかったので、生の魚を食べる事が普通の人には想像も出来なかったのです。
72年に来日したルカは演奏旅行中に日本食を何度も体験したせいか、お寿司が大好きだそうですが、来日しなかったライニーさんは私と行ったウィーンのお寿司屋さんで去年初めて生のマグロを食べたというくらいです。
そもそも海の無い都市なので、新鮮な生の塩水魚を食べる習慣が(シルバーエイジには)今でもあまり無いのかも知れませんね。

そうそう、余談ですが1989年の11月9日、壁が開いた夜にはね、東ベルリンからやって来た5人のグループが、まだ開いていた日本料理店に入って「マグロのにぎり」をたった一つ注文すると、それをナイフで5つに切り分けて、みんなが恐る恐る口に入れていたとコックの友人が面白そうに語ってくれました。
西ベルリンの人にもお寿司は高級料理だった頃で、世界から隔離されていた一般の東ドイツ人には遥か彼方の日本のお寿司などSF小説の中の食べ物だったに違いありません。
それに西マルクが東マルクの2倍の価値だったので、一つの小さな「にぎり寿司」がとんでもなく高い値段に映ったことでしょうね。
今はベルリンの繁華街では右を向いても左を向いてもSushiと言う文字が目に付きます・・・が、私はそこいらの寿司もどきには目をくれず、ベルリンに於いては一心に「一心」でしかお寿司は食べません。
http://sekaishinbun.net/2016/11/13/ishin-berlin/

さて、ドリー君のそう来るならこう返すのイモリ話は、その後合唱団の来日の話題に変わりました。(ちなみに今来ているブルコアの少年達は日本の食事がとても美味しいと言っているそうです。それを聞いたとき、ekさんの話してくれた東ドイツ時代のトマーナコアのカレーライスばかり食べていた少年達が妙に愛しくなってしまった~。←記事168)
来日しているブルックナーコアの動画を見ると、みんなはつらつとインタビューに答え、華やかな笑顔を見せていますが、60年も前に団員だったドリー君は「僕たちの時代は口を開けてもよかったのは歌う時だけという習わしで、いつも無言でいるのがたしなみでしたよ。」って。
でも本当のところは凄いストレスが溜まっていたのかもしれないのね。

夢見る少女たちは彼らの内心の努力も知らずに、雑誌に載っているお行儀よくすました写真から、それが本当の姿だと思い込み、勝手に気品に満ちた少年達を作り上げてそれに参ってたのかもしれない。
67年組の年少の団員が書いた作文に、ホテルでは誰が見ているか分からないから、大声を出さずいつも礼儀正しく振る舞わなければならないのです、って書いてあった事もそれが裏付けられます。

それにしてもですよ~、自分の中に潜む小さなわんぱく小僧を懸命に制して、名高いウィーン少年合唱団の名に恥じない規律ある行動に準じていた昔の少年達は胸がキュンとはじけるくらい健気な子供達だったんだわ。
やっぱり私達の憧れに匹敵する少年達だったのだとも思う。
本当かどうか、その一途な憧れのせいでヨーロッパ旅行に参加して、ウィーンからパリに来た時にホテルの窓から飛び降り自殺してしまったファンがいたって、ドイツに来てから聞きましたから。
タウチュニヒさんが日本のファンは忠実だと言ってくれたとしても、そこまで登りつめてしまう人は、ただ哀れで胸が痛むだけです。
あらら、エレベーターで「私、・・~君が好きで仕方ないんです」と、涙ぐんでいた72年組のファンの女性を思い出してしまったけど、まさかね。

ちょっとおセンチになりましたが、私は昔のアウガルテンの、ずらりとベットの並んだ大寝室を忘れていません。
今は明るく清潔な2人部屋に変わって、コンピュータールームでは両親と話すことも出来るそうですが、そんなことのなかった時代は、幼い新入生の入る時期になると、その子たちがホームシックに掛かって泣く声が、夜な夜な他の団員達を悩ませていたことを知りました。
元団員の方から何度かアウガルテンでのホームシックのお話は伺っていましたが、現実的にその泣き声の事までは思い付きませんでした。
映画「青きドナウ」でアウガルテンの窓から見えた、夕暮れの空の青はロマンティックだったけれど、現実は実に侘しいものだったんですね~。

気が滅入る話はここまでで、5月の春に戻っちゃいましょう。
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表は少し寒いのですが、青空とライラックの花が綺麗です。
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とても良いお天気だったので食事がてらに自分の街を散歩してきました。
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我が家から歩いて10分ほどの場所にある中学校で、1889年に建立されたこの街でも一番古い建物の一つです。
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その学校の隣に建っている福音教会の軽やかな鐘の音は、私の家の庭まで聞こえてきます。
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暖かくなったので、駅に向かう途中のお花屋さんもこの通り。
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自分で撮った写真よりもこちらの方が綺麗なのでHPから借りて来ましたが、これには驚いたでしょう。
私の街にはこのドイツで一番大きな中華料理店があって、遠くから観光バスで団体さんもやって来るほどです。
そして2月の中国の新年にはここで毎年大きな花火大会が催されています。
そして、もう一つの驚くことは古い洋館のカフェーハウスがあります。
そう、ウィーンのビーダーマイヤー時代に戻ったように、そこではのんびりとおしゃべりをしたり本を読んだりしてコーヒータイムを楽しめます。
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電車から降りるとここには駅の出口が一つしかありません。
そして駅を出た途端にミツバチが歓迎の踊りをしています。
この街にはミツバチ研究所があるので、実はそのシンボルなんですね。
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駅の向こう側には市民の憩いの場所がありますが、夕食の近いこの時間には余り憩いでいませんね。
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ここには第2次世界大戦で戦死したポーランドの兵士たちの名誉記念碑がひっそりと建っています。
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その近くの家には藤の花が咲き誇っていました。
我が家のはたった一度3年前に一房咲いただけで止めてしまっています。
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森の道を抜けて戻ろうとしたら獰猛な白オオカミが待ち受けていました。
この後、尻尾を振ってじゃれついてきたので写真が撮れませんでした。
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森の出口には沢山のすずらんが咲いているんですよ。
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ミツバチの研究所があるくらいなのではちみつが取れるはずなのですが、世界的にミツバチが死滅しつつある傾向にあって、ここも巣箱が用意されていませんでした。
ちなみに、ドイツの森の蜂蜜はまるで黒砂糖のような美味しさです。
さて、そろそろ車に戻って食事に行くことにしましょう。
今日はお隣の街にある森の近くのドイツレストランでウィーン風カツレツを食べる事にします。
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そして今日のお供も、イスラエルで買って来たmade in chinaの黒猫ちゃんでした。
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今現在、我が家の庭には以前のブログに出ているオーストリアの野イチゴが、もうこんなにたくさん花を付けています。
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6月には実が食べられるようになるでしょう。
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去年ウィーンの友人に持って行ったイチゴちゃんも、そこで負けじと花を咲かせているようです。
陰になっている庭の片隅には行者ニンニクの花も咲いています。
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この葉っぱはサラダに使ったり、おひたしにしても美味しいんですよね。

今年はルカの後輩のブルックナーコアですからね。貼り付けます。
https://spice.eplus.jp/articles/236226
何か、二人だけ制服の色が微妙に違っているような気がしますが・・・。

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