13 え、ウッソォ~!こんな世界があったの?

私がウィ―ン少年合唱団の虜になってドイツに来てしまった所以・・・

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この1963年代の写真の制服の少年達を見ると、彼らのファンになりた立てだった少女時代に見た頃とは大分印象が変わっていて・・・・・

お気付きでしょうか。
映画「青きドナウ」の前のウィ―ン少年合唱団の制服の胸には

   ”まだ、ワッペンがついていなかった”のですよ。

なんでも1963年に放映された、あのディズニ―映画がきっかけになって、胸にこのオーストリアの紋章が付けられるようになったと言う事です。
古だぬきが青春時代を掛けてポンポコ騒いでいるだけあって、やはり、この音楽映画は単なる”ただ事”ではなかったのですね。
私はこの左上の後ろに立ってにこやかに微笑んでいるヨゼフ君のファンをひっそりとしていました。
あ、ヨゼフ君って、青きドナウの映画の中のオペレッタの場面でミッチーに振られる「伊達男」の役をするニヤけた少年です。
2分54秒のところでこの映画「高らかに鐘は鳴る」にも出てきていますよ。
この才能のある少年は後に音楽の道に進みました。
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頬のあたりはまだ面影が残っているでしょう?


はてさて、この青きドナウの映画の中では、頭の切れるハンサムなピーター少年が、純真無垢なトニー少年に、リーダーの立場からパワハラをかけています。
それを知っているファーディー少年も、特に止め立てはしていません。

少女時代に見た時はそれを、全然違和感なく受け入れて見ていました。

むしろパワハラを受けながら、それを気にもしないトニー少年の天真爛漫な性格と、ヘラ―先生の子供たちに対する寛大な態度に、ウィ―ン少年合唱団員達の私の知らない世界への憧れを強く感じたのです。
(もちろん今は映画の中での事だと判っていますがね)

私の父は14歳という若さで家への仕送りのために、仙台から東京に一人で上京して旋盤工になり、とてもつらい少年時代を経験した人だったと母から聞きました。
あの頃は、不満を抱えた先輩たちのいじめは日常茶飯事だったようです。
兄弟子達に殴られては横浜の叔母の家に逃げてきていたと聞きました。
貧乏な家に生まれた父は3人弟妹の長男で、暖かい家庭を知らずに育ち、そのために封建的で、何かにつけては子供達に手を上げたので、私達は彼の居る所ではびくびくし、言いたい事も言えない子供時代を過ごしました。

戦後の日本は、今とは違って物資も少なく、裕福ではありませんでしたから、バナナなど贅沢な食べ物でしたし、私は昔の癖で、今でもチョコレートを噛まないで、口の中で溶かしていますからプッ夫クンによく笑われます。

この時代は小学校での体罰もそんなに珍しい事ではなかったような気がします。
学校の男の子と言えば、ちょっと乱暴でがさつで埃まみれで、辺りかまわず走り回っていたのが大半でした。

東京はスモッグで灰色の空が続き、鳥の鳴き声さえまれにしか聞こえなかったし、私の住む地区では日曜日ですら工場の機械や昼のサイレンの音が聞こえ、近所のアパートからは子供の泣き声やラジオの歌謡曲が隣の部屋からの様に耳に入ってきました。

それらが普通に中学生だった私の周りの環境だったのです。

そんな時に、この「青きドナウ」の映画で、澄んだ青空と緑の木々と、美しい少年達と、清らかな歌声と、すばらしい宮殿の世界に出っくわしてしまったのです。
同い年ぐらいの彼らが、舞台ではすべての楽譜を暗記しているのも凄い驚きでした。
ドイツ語だけでなく、英語やラテン語や日本語までもですよ。

思春期の頃でしたから、この映画や来日した気品ある64年組で私の美的感覚が目ざめ、この世界に執着してしまった可能性は大なりです。

もしも私が自然の多い北海道に住み、裕福で面倒見の良い優しい両親を持ち、自由にどんなコンサートにも行けていたら、今頃、此処にいてこれを書いていなかったかもしれませんね。
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おっと、私は幼い頃、横浜の高台に住む叔母の家で過ごし、そこはとても緑が多く、アメリカ人の牧師様のいる小さな教会があって、時々その家からは美味しそうなケーキを焼く香りがし、風のある暖かい日など、その家の白い窓枠から白いレースのカーテンが軽やかに、そして優雅に揺れているのが見え、すでに、そういう外国の雰囲気に気持ちが惹かれていました。

やさしい叔母は私に”キンダ―ブーフ”という絵本を与え、そこにはヘンゼルとグレーテルの美しい絵が沢山出ていて美味しそうなお菓子の家のあるドイツの深い森があって私はいつも、その森をいつか行く場所だと決めていたのでした。

やはり、幼い頃にすでにドイツへの道の土台は出来ていたのかしら。

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このソリストの少年の素敵な声はフェルディナント・シルハネーク君。
映画「青きドナウ」のトニー少年の歌声です。
私はこの声を覚えていて、自分の描く漫画の第二主人公の歌声にしました。
(2019年1月:残念ながらこの動画は消されています。)     

2015年8月:ついでですが、1989年のエマヌエル・チェンチッチ君のソロも貼っておきます。


私個人の好みとしては、最初の歌声のほうが優しくてずっと好きなんですけれど。

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この記事へのコメント

Melba
2013年05月02日 20:50
ドイツ時間では、こんにちは、ですね。
64年組は知りませんが、掲載の写真を
見るにつけ、60年代の想い出が蘇って
きます。
当時の雑誌、チケットやプログラムを
全て保管してなくて、少し悔やまれます。
でもネットのおかげで、想い出が蘇り
嬉しいです。 ponko様の軽妙な語り口
読んでいて楽しいです。
また、何か思い出された事がありましら
お話をお聞かせくださいませね。
ponko310
2013年05月03日 01:44
Melbaさん
ウィ―ンの思い出はまだありますよ~。
でも、思い出だから制限があるんです。
本当にネットには感謝です。
長老純爺さんのチケットを見て
”ああ、これだった!”って嬉しかった。
ばんざ~い・・の気持ちでした。
YUKARI
2013年12月10日 05:36
ponkoさんとの共通点を見つけたと思いました。

私の母はただ感情が出てただけだと思いますが、よく叩かれました。

おかげさまで立派な石頭になったくらいです。

ただその母は父に激しい暴力を受けていたのを、私はぼんやりとただ見ていました、、。

父は私には優しく、父の方が好きだった自分がいます。

感情を出さない子になった私がワクワクする事を知ったのは、本の世界でした。

その時もしウィ‐ン少年合唱団に出会っていたら、私も今ごろドイツにいたかも?
ponko310
2013年12月10日 18:21
YUKARIさん
もし私も父の方が好きだったら日本男性と結婚していたかも。
幼少のころからガサツな野郎どもに囲まれて育ったものですから、男と言うものは皆この様なものだと思い込んでいました(苦笑い)。
それで映画「青きドナウ」を見て、こんな少年達がいるんだ、とすっかり憧れてしまった訳なんです。
何と単純な!!
私も、本では一喜一憂してばかりです。
本の世界は凄いですよね。
自分にぴったり合った場面を想像できるのですからね。

あなたとドイツで知り合っていたかったな。
2015年12月06日 20:26
理想と若干異なる環境も、新たな興味へのきっかけになることもあると、この記事で学ばせていただいたように思います。

お父さまは大変な苦労をされたのですね。
職人気質のお父様も、まさか自分の娘が国際人になろうとは、最初は想像もなさってなかったかもしれませんが、お父様が職人気質だったからこその、今の伯母様の人生があると思うと、なにかとっても不思議です(いい意味で・・・
ponko310
2015年12月06日 20:39
コメントをありがとう。
昔の日本は今と全く違っていたことを思い出しました。
帰国するたびに変化する日本には驚いています。
私のいたころの都会はそりゃぁ酷かった。
父は本当に一生が苦労だったと思います。
怖かった人ですが、今生きていてくれたらそれこそ甘やかして親孝行ができたのにと、残念です。
ryo
2019年10月23日 00:36
ponko様
動画が消されてて、ガッカリです。マルシャート君の「事終わりぬ」も消されててショック。私は本当に知らないことだらけだと思いますが、マルシャート君が歌っていることをponkoさんのブログにおじゃましてわかったので、聴きたかったのです。実は、私は外盤のLPを持っていて、日本語にするとどういう訳になるのかがわからなくて、同じ曲か確かめたかったのです。
シルハネック君の名前を、やはりponkoさんのブログで知り、「エクスルターテ イゥビラーテ」全曲は」、シルハネック君が歌っていることがわかりました。実はこの曲、私は、よく知られている「アレルヤ」よりも第1楽章が好きなのです。私のLPでは、1963年4月録音になっていますが、Maxのよりもテルツのアラン・ベルギウスのよりもシルハネック君のが私のベストです。少年らしいソプラノで、女性のオペラ歌手のような技巧に走らず、でも、しっかりした技術を持っていて、装飾音符のところを自然なコロラトゥーラで聴かせてくれる。安心して聴けます。
ponko310
2019年10月23日 17:41
ryoさん
事終わりぬのドイツ名は「Es ist vollbracht」です。
ネットを知ってからあの歌声がマルシャート君だと判ってびっくりしました。
凄く素敵なアルトですよね。
シルハネック君の声にはもう、最初から初恋です。
あの歌声でウィーン少年合唱団が印象付けられたのですからね。
ほがらかに鐘は鳴るの動画は消されていませんから良かった。
この場面で前列左から4番目はヨハン・ピヒラー君ですよ。
デズニーの映画は著作権のせいでみんな消されているみたいです。
@giveM takeU(tack)
2019年10月24日 01:34
ちょっと一言いいですか?
このシャーリングくんの写真は初めて見ました。
やっぱ、カワイイなあ。みんな可愛い!
このところ落ち込んでいるので癒されます〜
ponko310
2019年10月24日 02:20
tackさん
落ち込んだ時は気分転換をしなければけませんね。
落ち込みの原因から他の方向に目を向けて下さいな。
お友達と一緒に美味しい物を食べるのも元気になる元かもしれません。
秋のメランコリックに負けませんように。
ryo
2019年10月26日 01:29
ponko様

マルシャート君の"Es ist vollbracht"確かにレコードにありました。この声、マルシャート君だったのですね?
「ほがらかに鐘がなる」ヨハン・ピヒラー君、わかりました。ちなみに7番目はシュピッツビーザー君です。
ずっと誰が歌っているのか、わからないままだったシルハネック君の「エクスルターテ イウビラーテ」と「春へのあこがれ」は、もう本当に絶品です。
ponko310
2019年10月26日 18:37
ryoさん
昨日、ウィーンの友人に協力を頂いて、ヨハン・Pさんと連絡を取って頂きました。
そして分かったのは、もうご存知かと思いますが、彼の歌っているのは1962年録音レコードのLieder unserer Heimatです。
フルトモーザー指揮の「春への憧れ」
フロシャウワー指揮の「スズランと花たち」
ランク指揮の「愛しい兄弟」「挨拶」「きれいな花」「子守唄(フリース)」
そして二重唱のアルトはアイスラー君でした。
それを聞いてから彼らのCDを何度も何度も聞きなおしています。
やっぱりこの時代のウィーン少年合唱団が私に取って最高です。
ryo
2019年10月27日 02:01
ponko様

調べてくださったのですか?ヨハンくんは、ラング組(ですよね?)なのに、他のカペルマイスターの指揮で歌うこともあるのですね?モーツアルトの春へのあこがれは、シルハネック君だと思っていました。ここに、ダハシュタインが入っていないのが救いです。シャーリング君の可能性があると思って。とりあえず”Lieder Unserer Heimat"
聴いてみます。
ponko310
2019年10月27日 02:42
ryoさん
ヨハン君は来日61年のランク隊でした。
私のCDには62年録音で、Hoch von Dachsteinはフロシャウワー指揮で入っています。
少年達がレコーディングするときはいつも自分の隊の指揮者とは決まっていないみたいですね。
そのレコードは3人の指揮者が担当していますけれど、
ヨハン君はそのどの指揮者でも歌っていました。
ryo
2019年10月28日 00:13
ponko様
カペルマイスターが代わるなんて、考えてもみなかったです。私には64年組がすべてです。合唱界の紹介がなければ、ヨハン・ピヒラー君も知らなかったのです。青ドナを見て、ヨハン・ピヒラー君はこの子に違いないと思っていたシュピッツビーザー君の名前をponkoさんに教えてもらってからも、すぐに目に入ってきます。全員の名前と顔がわかり、パートがわかり、どこに立っていたかがわかるのは、64年組だけです。64年以降は、だんだんフェードアウトしています。半年間も海外演奏旅行に出かけてたので、64年組は録音に恵まれなかったのでしょうか?ソリストだったのに、シャーリング君の歌声が少なすぎるのが悲しいです。
ponko310
2019年10月28日 01:04
ryoさん
ヨハン・ピヒラー君は確か女学生の友と言う雑誌でした。
切り抜きしかもらっていないので確かではありませんが、その頃私はまだ合唱界を知りませんでした。
カペルマイスターは3~4年で辞める方が多いですね。
モーコアのゴドイ先生も辞めてしまって残念です。
ryo
2019年12月07日 00:36
ponko様
今日は、西洋美術館で「ハプスブルク展」をやっているので、見てきました。今回はハプスブルク家が所蔵している作品だけの展示で、時代を追って、また地域ごとに分けられてて、とてもわかりやすかったです。美術館を後にして、改修終わった東京文化会館の音楽資料室に行って、「合唱界」を全部出してもらって見てきました。「合唱界」って、こんなに専門的な雑誌でしたか?文化会館改修ずーっと前、音楽資料室では「合唱界ヤング」を出してくれたのに、今度は「合唱界」のみ。写真もほとんど無くてガッカリ。シャーリング君のナネットがビアマグ持って険しい顔して、ミュルナー君に差し出してる写真があったはずなのに。映画「野ばら」は子どもたちが本当に歌が好きなことが伝わる、ウィーン少年合唱団を参加させるなら、もっと多くの歌を紹介してほしかったし、どうやって歌う力を身に着けていくのかを扱ってほしかったと書いてありました。「菩提樹」の合唱を吹き替えているウィーン少年合唱団の歌が素晴らしく、って書いてあったので、やっぱり「菩提樹」はウィーン少年合唱団だったのです。
ponko310
2019年12月07日 04:09
ryoさん
上野の東京文化会館ですか?
うわっ、懐かしいです。
1969年、あそこの大きなガラス張りの入り口でファン友を待っている時に、ウィーン少年合唱団を聞きに来たオーストリア大使の息子さんのゲルノート君とばったり出会い、タウチュ二ヒ団長が自分の家に遊びに来たとか、夢みたいなことを話してくれたのを思い出しました。
今もまだ会館の外見は変わっていないのかしら。
そんなところで合唱界が見れるなんて、凄いですね。
ヤングはむしろ少年合唱団ファンの為のサービス的な雑誌だったので、もう置いてないのかしら。
私はビアマグを持ったシャーリング君の女装を見たことが無いので、そんな写真もあったのかと驚いています。
菩提樹って、トラップファミリーのドイツ映画のことですよね。
あの頃はまだ歌はみんなウィーン少年合唱団だと思っていたみたいですね。
けれど映画の歌声の配役に合唱団の名前は書いてないのですよ。
今までウィーン年合唱団が歌っていたらどんな古い映画にも名前が出ていたと思うのですけれど。
ま、美しい歌声が聞けるならウィーンでもレーゲンスでも私にはどちらでもいいことです。
ベルリンのシェーネベルク少年合唱団でした、なんて誰かが言い出したら、ぜったに異議を申し出ますけれどね。
古いウィーンファンとして>やっぱり「菩提樹」はウィーン少年合唱団だったのです<と言う言葉にはニンマリとして悪い気はしません。
ryo
2019年12月08日 02:07
ponko様
東京文化会館は解体ではなくて改装なので、中は変わっているところもありますが、見た感じは同じです。思えば64年組の日本公演は、東京文化会館でスタートし、東京厚生年金会館で終わったのでした。ek様情報で、横浜公園は文化体育館だったのですよね?パイプ椅子だったとか?私はプログラムも合唱界も、青少年センターホールと書かれていたので、近くを通る時には、ここで歌ったのだなあと思っていたのです。なんで変更したのでしょう。他の都市はちゃんとした会場だったのに、横浜情けないです。音響だって良くないですよね?
来年来日するコアは、東京文化会館で歌ってほしいです。
ところで、ponkoさんは、ピューリンガー君がいつ退団したかはご存知ですか?私、毎週少女雑誌読んでいたのに記憶にないのです。
ryo
2019年12月08日 02:25
ponko様
続けて失礼します。文化体育館を調べてみました。1962年にできて、青少年センターより新しかったのでしょう。2024年には新しいアリーナに生まれ変わるので、来年、閉館になるのですが、来日アーティストのところに、64年ウィーン少年合唱団公演と書いてありました。コンサートもいろいろやってて、アリーナ席を作ったということなので、今のポップス系の会場みたいだったのでしょう。
ponko310
2019年12月08日 03:26
ryoさん
64年組のファンなのに、ワルター君どころか誰が何時退団したのか全く知りません。
私はその頃ナイダー隊のウサギちゃんとの文通が始まって、ドイツ語の勉強に打ち込んでばかりいました。
64年組は父が許してくれなかったのでコンサートには行っていませんから、その頃の横浜文化体育館も東京文化会館も知りませんでした。
な~んにも話にならなくてごめんなさいね。
でも、こうして自分の知らない当時の事を聞けるのは
とっても嬉しいです。
ek
2019年12月08日 14:02
Ponko様

あちらこちらにお邪魔して顔を出しています(笑)。
私もヨゼフ君のなんだか素朴な飾らない様な雰囲気が好きです。
(映画に映し出される彼しか存じ上げないのにこんな言い方失礼かもしれませんが)。そう!正しくこのお部屋でタクトを持って微笑んでいる写真の彼。伊達男さんというより町の人気者みたいな雰囲気!
本当の彼は知的でおしゃれな男性なのかもしれないのに…。(ごめんなさい、ヨゼフさん)

Ponkoさんのお父様はとても厳しい方だったのですね。私の両親は割と新しい事に興味を持っていてくれて、ペンフレンドの友人達に会いにホテルまで「ご挨拶するんだ」と同行しました。アメリカのColumbusの友やトマーナの友達もちゃんとお相手してくれました。私の3ヶ月の旅行中に父から届いた手紙は10通以上でした。ウィーンのヘラー先生似のオーナーさんも「Post ist da ! aus Vater! 」って。ペンフレンドでもあるまいしね(苦笑)。


ryo様

64年のウィーンの演奏会会場が何故青少年センターから文化体育館に変更になったのか私も実際の理由は知りません。
Ponkoさんのブログのお仲間のYuichannさんの所でもこの疑問を話題にしてお話したことがありましたが、青少年センターの座席数は800人程度。文体でのパイプ椅子での座席数は約2000席。どちらも同じ位の年の開館です。
横浜には64年の10年程前に日本国内でも誇れる響きの豊かな木の音楽ホールがあるのに、何故に体育館?とも思いましたが、このホールも座席数は1000人程です。アマチュアの私が在籍していた合唱団でも1000人を超えるご来場者がある位ですから、当時人気のウィーン少年合唱団です。各ホール座席数以上の来客が見込まれると急遽変更になったのではないかと推察いたしました。
事実 私の座席は49列の真ん中辺りでしたから、少なくとも1500人程の来客があったものと思われます。
確かにスポーツセンターですから、音響効果は望めないかもしれませんが、それでも私達には感動の歌声 雰囲気でした。
ちなみにあの時代 64年組が火付け役のような海外から少年少女合唱団は67年頃まで文体で行われました。67年の5月のタイマー隊のコンサートも文体で聴きました。
ponko310
2019年12月08日 18:44
ekさん
そうなんです。
わが父は勤勉でしたが実に封建的でした。
女学校で知り合った級友達のお父様はみんな優しそうで羨ましかったです。
私の九州のペンフレンドだったキリアン君の文通相手も、合唱団に会いに行った時はご両親が一緒で、ホテルで撮った写真を頂いたときは、こんな親もいるんだと驚いたものです。
ekさんも御理解のあるご両親に恵まれて本当に良かったと思います。
横浜文化会館の説明も興味を以って読ませたいただきました。
どういうわけか私は横浜出身なのに、ウィーンも他の合唱団も、東京ばかりに足を運んでいましたよ。
不思議ですね~、きっとファン友がみんな東京だったからかも。
Yuichann
2019年12月08日 21:19
Ponko さん
此方にもお邪魔します。約半世紀の間、プログラムの通りだと思って、県立音楽堂に64年組の資料などが残っているのか3年位前に質問した事が有ります。そこで初めて文化体育館でコンサートをした事を知りました。ekさんにその訳を教えて頂きました。当時プログラムに音楽堂では無く文化体育館になった理由の冊子がきっと付いたのでしょう‥‥。文体、修理の為閉館ですね?あの懐かしいステージともお別れ、寂しいです!
ryo
2019年12月08日 22:20
ponko様
ek様

ponkoさん、私の父も無理解でしたから、とてもウィーン少年合唱団を聴きに行くなんて考えられませんでした。テレビも切り替えられてしまいました。少女雑誌見ながら、どんな声なんだろうと想像していました。64年組以降、日本にも多くの子どもの合唱団が生まれましたが、合唱界を見ても、ウィーン少年合唱団に学ぼうとしていた時代でした。

ek様、きっと横浜に来る前の合唱団の人気に、青少年センターでは収容能力が低いと判断したのでしょう。それはそれで、ちょっと嬉しいような...確かに県立音楽堂は木造で音響はいいけれど、収容人数は多くはないですよね?レーゲンスブルガーは、県立音楽堂で聴きました。
ponko310
2019年12月08日 23:11
Yuichannさん
ここでもお話出来て嬉しいです。
私が日本を出てから、オールドの皆は60年代のウィーン少が懐かしくて、いろいろ探索されていたのですね。
今更ながらそれを知ることが出来て、何だかキュンとしてしまいます。
72年組も横浜の文体で歌ったのかな~。
もう、閉館となると彼らが歌った会館さえ懐かしく思いますよね。
ponko310
2019年12月08日 23:22
ryoさん
私が64年組のテレビ放送を見られたのは運が良かったのかもしれません。
67年も69年も72年も全く見ていませんでしたから。
あ?67年は見たかな?
何しろウサギちゃんの事が頭いっぱいで覚えていません。
でもryoさんは63年に映画の青きドナウを見ていらしたのでしょう?
私はあの歌声が64年組に通じるものだと思いきっていました。
皇帝円舞曲の「Aaa...」と言うソロがシャーリングとか聞いて、信じ込んでいたのですからね。
レーゲンスブルグも日本で聞きたかった少年合唱団でした。
叶ったのは50年も経ってからのベルリンでしたけれどね。
ryo
2019年12月09日 23:28
ponko様
いえいえ、青ドナ見に行っていないです。テレビを見せてくれないのに、青ドナの映画なんてとんでもない。でもその頃、なぜか「ウェストサイド物語」は映画館で見てるのですよ。青ドナの方が子供向きだと思うのですが。青ドナのビデオを持っているのですが、CMが入っていないのでTVから録画したものではありません。まったく記憶にありません。
文体は来年閉館して、完全に取り壊されるみたいです。もっと駅に近いところにりっぱなアリーナをつくるようです。
ponko310
2019年12月10日 03:46
ryoさん
餓鬼大将の私でさえ、あの青きドナウには心を奪われたのですから、テレビで見てファンになったあなたなら、もっと凄い事になっていたかもしれませんね。
いやぁ~、それで良かったのかもしれませんよ。
手の届かない人に憧れるのは時として不幸せな気分になるものですからね。
私もウェストサイド物語は映画館で見ました。
ああいう世界とはかけ離れた生活をしていましたが、マリアの歌と最後にトニーが死んだときは涙が止まりませんでした。
懐かしい映画を思い出させてくれてありがとう。
これからネットでマリアの歌を探します。
青きドナウは日本語版ですか?
日本語版は良いですね~。
少年達の声が好きでした。
tack
2019年12月10日 22:02
あ”〜ponkoさんたらっ
来週『ウエスト・サイド物語』見に行こうと思っていたのに、結末が分かっちゃったじゃないですか!

「午前十時の映画祭」で今は『サウンド・オブ・ミュージック』と『ウエスト・サイド物語』を上映しているのです。明日は『サウンド〜』を観てまいりますわ。『野ばら』や『青きドナウ』も上映して欲しいんですけどね。
ponko310
2019年12月10日 23:33
tackさん
え?、おたくさんはまだその映画を見ていなかったんすか?
ま、私の書いた結末なんぞは映画の内容に全く値しないものですから、楽しみにご覧あそばしませな。
ジョージ・チャキリスがかっこ良いのですよ。
歌曲は耳に心地よいオールディーズ。
本当は私の趣味ではなかったのですが、ウィーンファンの級友(ピンクのワンピースの)に誘われて付いて行ったのです。
まさか泣けるとは思っていなかったわい。
実は私はクラッシクの「菩提樹」に影響されてモダンなミュージカルの「サウンド・オブ・ミュージック」を見ていません。
偏ってるのかな。