192 今度はウィーンの夏でした 5

2019年6月17日  月曜日


私の泊っている近代建築は窓を閉めると静かでぐっすり眠れます。wien Hauptbahnhof 2016.jpg
これは2016年の工事中のウィーン南駅前を、当時泊っていた古いホテルから撮った写真ですが、ビル建築のクレーンは今でも建っています。
今の私のホテルMotel oneはあの中央駅の向こう側です。
こうして、ウィーン旧市街もモダンなビルに囲まれて行くのかな。
これって、近代都市では世界的傾向なんでしょうね。
でも、この近くにあるべルヴェデーレのあの神秘的な夜景の後ろに近代的なビルの灯りが見えるようになったらこりゃもう、おしまいだわ。image.jpg
大丈夫、こちらの方角にはこんなビルは決して建ちません。

ライニーさんとは昨日、落ち合う場所と時間を決めて別れたのですが、どうも信頼されていないらしく(やっぱなぁ~、待ち合わせするたびに行き違っていたから)寝る前に連絡があり、御親切にも今日の8時にホテルに来てくれることになりました。
その時、今夜のMuthでのハイドンコアの演奏会を知らせてくれたのですが、日本から戻って来るブルックナーコアを午後にファン友3人と空港に迎えに行く方のが面白そうなのでそちらを選んだと伝えました。

今回の旅ではオールドファンのmaaさんに会ったら、今度はゆっくりと時間を取って64年組のレーブルさんに会おうと企んでいました。
あの伝説の64年組なのですからきっと素敵な思い出になるはず。

ホテル以外で朝食を取るのなら、レーブル氏のお気に入りのカフェーハウスに彼女を連れて行って、悪戯心よろしく、偶然を装い突然会った素振りで挨拶をする企てでした。

自分勝手に決めていた事でレーブルさんは知る吉もないのです。
でもいよいよ日にちが迫って、会えない事もあろうかとライニーさんにそれとなく確認を取ってもらいました。
すると残念なことに、私がウィーンにいる間は丁度用事があってこちらにはいないと判ったのです。

それにはがっかりしましたが、どうやら私の企てが向こうに伝わってしまったらしく(なんせ、何でも筒抜けなんですから)私がウィーンに着いた日にレーブルさんからライニーさんに、月曜日にみんなで会いましょうと言う、思い掛けない伝言が入ったのです。

もうてっきり会えないと思って、何のお土産も用意していなかったのでギュンニーさんに焼いてきた小型のフルーツパンの一つをレーブルさん用に回すことにしました。Brot.jpgけれどmaaさんはせっかく用意した64年組の写真が載っている、貴重な古い日本の少女雑誌を持って来損ねてしまいました。
すべてが上手く計画通りに行かないのが現実ですが、こちらの人は日本人程お土産には拘っていないので、気には掛けなくても大丈夫。
企てがばれてしまったのですから去年知り合ったお姉さまも同席してくれるように頼んでおきましたが、さぁ、いらしてくれるかな。

ライニーさんは時間通りにホテルに来て下さいましたが、約束のカフェーハウスに着くまで時間が掛かってなんとまぁ、10分も遅れました。
私達が去年お会いした場所と同じ喫茶店のアイーダです。(借り写真↓)Aida_interior.jpgすぐにレーブルさんが判りましたが、お姉さまは?

あ~っ、いらしてくださってる 
64年組ばかり頭にあってmaaさんにお姉様の事を言い忘れていましたが、自分から聞いてくれたので説明の手間が省けました。

見ると、目の前のお二人はすでに朝食を殆ど済ませていました。
きっと約束の時間よりも早く来ていられたのでしょうね。

さて、手短に挨拶と紹介を済ませて、私達も同じ席に(わざわざ二人用のテーブルをくっつけておいてくれたようです)どっこいしょと座ってアイーダのオリジナルの朝食を注文しました。aida.JPG私のお土産を渡す際に、友人が日本の雑誌を渡しそびれた事を伝えると、気にする様子もなく、そこから団員時代のお話が始まりました。

ライニーさんが言うには、60年代には毎日お昼休みになるとアウガルテンのロビーの机の上に大きな段ボール箱がどさっと置かれて、日本からのファンレターがそうして届いていたそうです。
レーブル氏は「君もたくさん受け取ったんだろうね」と言われると、照れ臭そうに笑いながら口を濁していました。
去年はお姉様が自分がお返事を書いたとおっしゃっていましたっけ。

途中からmaaさんがレコーディングよと言ってそっとマイク(カメラ)をテーブルに置くと、ライニーさんが「あぁ、録音してるのですね。あとで訳すのですか。」と愉快そうに声をあげます。
レーブル氏のお話では、2月の終わりにウィーンを出発し、イスタンブール、アンカラ、ベイルート、テヘラン、ニューデリー、ボンベイ、香港、台湾の後に東京に着いたそうです。

ビートルズが日本に来る二日前か前日に着いたのだったとか。
するとライニーさんが「あぁ、それでものすごいファンだったのか。」と冗談を言うとレーブル氏は「いやいや、私達の時の方が彼らの到着の時よりもファンが多かったそうですよ。」

間違いではないかと思い聞き返すと、やはりビートルズの来日は後日でファンは自分達の時よりも少なかったそうですとおっしゃいました。

「なぜならウィーン少年合唱団はそりゃもちろんとても有名ですし
……ビートルズもね。」(誤解を招かぬように調べたところ、ビートルズの初来日は1966年で、1964年の9月にリバプール・ビートルズという5人組がイギリスから来日していました。当時少年達は帰国してから、どこかで=多分日本の若いファンからの英語のファンレターだと思いますが=ブロークンに書かれた情報を間違って訳してしまい、誰かに言ったのが口伝えで広がり(何しろ何でも筒抜けになるくらいなので)、それを初心な子供心に信じ込んで(興味も無いので調べずに)現在にまで至っているのだと思います。今レーブルさんはイタリアに旅行中なので、戻ったらそれを伝えてもらい、今までの勘違いを正してもらいます。)
「私達は10週間日本にいました。二月の終わりに発って、3月、4月、5月まで日本にいました。その後は沖縄に2日間、フィリピンではマニラだけに1週間。そこからニュージーランドのウェリントンに飛びましたが、真冬の最中で厳しい寒さの中、団員達の半分は風邪をひいてしまいました。私達の衣類が船便で間に合わずに、届いたのは二日経ってからだったのです。ニュージーランドには6週間、北島、南島ですね。それから5週間オーストラリアのシドニー、メルボルン、アデレード、パース(ここでお姉さまがオークランド?と聞くと否定の答え)。私達は首都には行きませんでした。キャンベラには行きませんでしたよ。そこから3~4日間、8月の終わりにシンガポールに飛んで、シンガポールから我が故郷のウィーンに飛行機で戻りました。1964.jpgそれが8月の終わりでした。
私達は2月28日から8月の終わりまで旅行中でした。1964-a.jpgそれは長い時間でした。
1964-R.jpgそして1964年の素敵な日本演奏旅行でした。」

その時の思い出では、ファンの殺到を避けるために、バスが二台用意されて、カモフラージュの一台を会場の前に止めている間に、少年達は楽屋裏から二台目のバスに乗ったそうです。
ある時はファンが団員に渡そうとしてプレゼントをバスめがけて投げ、それが当たって窓ガラスにひびが入ったこともあったそうな。

私達オールドファンはそれが本当の話だったとわかっています。
本当に64年組はこれまでに無い熱狂的な歓迎を受けましたからね。

お姉さまとは昔ドレスデンに行ったことや今のベルリンを知らない事や他愛ない世間話をしましたが、あまり記憶に残っていません。
ライニーさんとレーブルさんの会話は、昨日のギュンニーさんのようにウィーン訛りが飛び交わって良く理解できませんでしたが、OB時代の思い出話のようでした。
それにしても恰幅のあるレーブル氏が手にする小さな携帯の可愛い事。wien.jpg私達オールドファンに向けての優しい笑顔のご挨拶です。
もう少し彼からのファンサービスをします。
グロスマン先生の指揮するフロシャウワー隊の1963年の写真です。1963-06-09-Prof.Großmann.jpg
小さなウィリー坊やは後列ソプラノの一番左に立っていますね。
では前列左から、❓(まさかスメタナ?)、シャーリング、レッシュ、❓、ロスナー兄、バウムガルトナー、❓、マルシャート、ビュヒラー、ハルハマー、❓
後列左から、レーブル、カーバー、ロスナー弟、❓(これはファルナーかもしれません)、ミュルナー、❓、タイブル、❓、❓、クレパイツ、ピヒラー、ピューリンガー、・・・

7月の初めのメンテナンス以降、写真をクリックして大きく見ようとすると非公開になって見れなくなりました。(あれ?直ってるかな?)

これはオペレッタのデニス氏夫妻の兵隊たちです。1963-09-..-Herr u.Madame Denis.jpgウィリー坊やはもちろん、カーバー君、ロスナー弟君、ekさんのペンフレンドのファルナー君、そしてピンクのワンピースの友人が大好きだったヨハン君。

最後に、私達のお別れの時にはレーブルさんはあの大きな体でまずmaaさんをしっかりと包み込んで両方の頬っぺたにキスを送ります。
ちいさなmaaさんが見えなくなってしまって、それがとても可笑しかったので写真を撮ろうとしたら私の番になってしまいました。
でも、あの64年組のOBからの大きなハグとキスですよ。
何て素敵な思い出になることでしょう。
でも、それが55年前のこんな貴公子との出会いのままだったら・・・

1963-06-.. (1).jpg
私達、二人共気絶していたかもね。

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この記事へのコメント

ek
2019年07月25日 10:27
Ponko様
いつもこのブログを拝見させていただく時は感動させていただいておりますが、今回は心にズキーンと突き刺さるような素敵な痛みを覚えました。
目に飛び込んで来た愛らしい衛兵姿のヴォルフガング君の写真。
あのステージ上での彼の姿を彷彿させていただきました。そうそう!この横顔!
そして「なあに?」って顔してこちらを見ていた!あの時は演奏のお邪魔をしてごめんなさい。一人で愛らしい衛兵姿の写真に向かって謝ってしまいました。(皆さん笑わないでくださいね)
そして さらにあの日のように突然現れたレーブルさん!お年は召されたとはいえ、あの日と同じ優しい笑顔! 
ヴォルフガングさんからもお聞きした日本公演を含めたツアーのお話。改めてお話を聞かせていただき、感激しています。

Ponkoさん 素敵なウィーン土産ありがとうございます!
そしてライニーさんにも心から感謝です。素敵なアテンドをしてくださいました。
もちろん 私の為ではありませんが(笑)、私にとって最高のお土産をPonkoさんに託して下さいました。「ek 何を言うの?あなたのためではないわよ」って今Ponkoさんの笑いながら頬が膨らんだ顔が浮かんできました。
本当にありがとうございます!
Ponko's ブログ最高!

maa
2019年07月25日 10:47
ponkoさま
素敵な記事をありがとうございました。
雑誌の記事の記憶なので当てにならないですが、オーストラリアに着いたときもファンが大勢いて、団員たちは自分たちのファンかと思ったら、実はビートルズを待つ女性たちだったそうです。オーストラリアじゃなくニュージーランドだったのかな? 私の記憶もメチャいい加減ですが、本物のビートルズ公演が当時あったそうです。
デニス氏夫妻の兵隊さんのコスチュームはチャーミングですね。ファルナー君の横顔がきれい!カーバー君の微笑みは、 口元がなんかこんな感じでしたね。ロスナー兄弟は本当に素敵、他のご兄弟たちの写真も見てみたいですね。ホーフブルクで香炉を振っていた末の弟さんとか・・・。オペレッタではネンメルト君も兵隊さんでした。あのときのオペレッタ映像があったらどんなに素敵でしょう。
レーブル君のハグとおひげは豪快でパワフルで、おちびの自分はコバンザメでしたが、最後の写真のような貴公子のままであったら確かに2人そろって失神していました。今のレーブル君でよかったと思います。
夏風邪で2~3日不調でしたが、熱も下がったので今日は国会図書館にいきます。ネット登録はしたのですが、やはり個人登録もしないと制限があるようです。週末は台風予報が出ているので今のうちに・・・。
Yuichann
2019年07月25日 17:20
Ponko さん
「キャー、何々」もうドキドキです。ponko さん有り難う御座います!
オールドが待っていた写真。64年組!
当時は半年間も海外演奏旅行に本当に行っていたのだとわかって嬉しいです!(64年の団員から聞けたのがまた嬉しい!今夜は夢に出て来そう)
残念ながら私の所では写真が見られない!ショック!
ponko310
2019年07月25日 17:42
ekさん
1974年のekさんの旅の記事で、突然現れたウィリー君がとても印象的だったのです。
それで去年はekさんとウィーンでウィリーさんに再会し、その思い出話が出来る事を願っていました。
でも、願いは聞き入れられず、今年もekさんとご一緒できませんでしたね。
ekさんが感動したタウチュニヒ理事長ご出席のあのミサの時、ライニーさんもヴォルフィーさんと一緒に祭壇の横で歌っていたはずでした。
私は2年続けてウィーンに行き、その二人に会って来ましたが、ekさんはこのブログの中での巡りあいだけで喜んでいられるのですね。
確かに現実よりも想像の方が楽しい事はいっぱいありますが、私はekさんといつか二人でウィーンのコーヒーを、ちょっと気取って足を組みながら飲みたいと願い続けています。
このブログではあのウィーンの夏の暑さは想像できませんからね。
ponko310
2019年07月25日 18:06
maaさん
そうそう、カーバー君はいつもちょっと口をひん曲げてニヒルに微笑むのが癖でしたね。
調べるとビートルズは1964年の6月12日から20までオーストラリアに行ってますね。
アデレード、メルボルン、シドニーの順でした。
フロッシーコアは7月以降だったと思いますから勝合わせした様子はないですけど。
maaさんがコバンザメならウィリーさんはジンベイザメ?……いえ、シロクマだね。
国会図書館での数々の嬉しい発見を祈ります。
風邪をぶり返さないように気を付けて行ってらっしゃい。
ponko310
2019年07月25日 18:32
Yuichannさん
ドキドキする人が現れて喜んでいます。 つまり、64年組のファンよね。 いつまでも忠実な64年組のファンでいてくれて嬉しいです。
今見たら64年組の歌っている写真が出ていませんでした。
直しましたから見れますよ。
写真が拡大出来ないのが残念ですが、ブログ玉が戻って来るように、いつかまた前のように大きくできるようになることを期待しています。

ek
2019年07月25日 19:53
Ponkoさん
またまたお邪魔させていただきます。
あの衛兵姿のヴォルフガング君に魅了されてしまって再度 素敵なレーブル君の写真 そして歌っている写真を見直して感動!
そして、Ponkoさ〜ん ロスナー弟君とPonkoさんのミュルナーさんの間に見える団員君は我が天使君ではないかと?多分そう!きっとそう!違うかな?彼 動画でもお顔隠してしまうんです(泣)。
 
ponko310
2019年07月25日 20:30
ekさん
私もそう思ったのですが、天使君はアルトじゃなかったのかと敢えて❓印を付けました。
でもekさんがそう確信するのなら、恥ずかしがり屋のヴォルフィー君なのでしょうね。
早速記事に書き込みます。
前列左はスメタナと違いますよね。
この時ばかりはグロスマン先生が邪魔でした。
 
ek
2019年07月31日 15:39
スメタナ君にも見える気もするし、そうでないような気もするし?でもそうすると彼は何処に?アルトとソプラノが入り乱れて(変な言い方ですみません)並んでいるから、そんな気がしてきましたが、この団員がスメタナ君だとしたら、ちょっとおとなしく見えますね。
お庭で椅子持ち上げていた腕白少年は何処?
ponko310
2019年07月31日 21:26
ekさん

これは1963年の写真なのでスメタナ君はソプラノを歌っていた可能性ありだったのかな。
似てるには似てますよね。
ま、そういう事にしておきましょう。
スメタナ君はもう絶対にこのクラスにいたはずなんですものね。
ek
2019年09月18日 14:21
Ponko様
何度もこのお部屋にお邪魔してしまいます。
やはり私は64年組のメンバーのお顔が恋しい。
たった一日しか目の前では逢えなかった制服姿のメンバー達。
たった一度しかこの耳で生の歌声を聴けなかった彼等の歌声。
それなのに なぜにこんなに恋い焦がれた乙女のような気持ちで彼等の写真を見て、彼等の歌声に心が癒やされているのか?
あの日 突然現れたレーブルさん。
もちろんこのお部屋に現れた彼より45歳も若い時なのに、思い出す笑顔が変わっていません。優しい眼差しで見つめながら 私の拙い英語を懸命に聞いてくださった。…なんて ノスタルジックになってしまっています。
64年組の写真の掲載はこのお部屋にお願いすべきだったのかも。
チロルの山荘のお話には、そぐわないお願いだったようです。
もちろんクラス会の写真は別ですが。 
今 手元にある あの時の最年長さんのヴォルフガングさんと最年少さんのレーブル君の写真を見て ふとそんな事を思ってしまいました。勝手な事ばかり言ってごめんなさい。 
ponko310
2019年09月18日 19:50
今でも乙女のekさんへ
そっか~、此処に64年組のクラス会の写真をね。
チロルの記事に貼るよりもいいかもしれませんね。
でももっといいのは64年組の記事に貼ることですよ。
考えておきます。